10/10/26 11:02:00 SQShtZ940
●七尾市の妙観院に残る「牛追善塔」のエピソード
イギリス人パーシヴァル・オズボーンは、
幕末に来日し、加賀藩お雇い外国人教師第1号となって
七尾の語学所で教鞭をとった。
七尾近郊のある百姓が、何も知らずオズボーンに牛を売った。
ところがその後、殺されて食べられるという噂を耳にした彼は、
あわてて買い戻しに駆けつけたが、その時にはもう遅く、
彼の牛は既にオズボーン一家の食卓に載った後であった。
嘆き悲しんだ彼は、牛を売って得た代金でこの石碑を建て、
その菩提を弔ったという。
●明治時代に、東北地方を旅したイギリス人
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社東洋文庫)より
伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。
ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、
元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。
彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、
というのである。
こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。
私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた
●イザベラ・バード「朝鮮紀行」より
大量の血のしたたる肉片が日なたで黒ずんでいくのには
完全に胸が悪くなった。
屠殺方法の違いが肉をこうさせてしまうので、
ソウルでも他の町でも、
外国人は肉を日本人の肉屋で買わざるをえない。
朝鮮人は牛の喉を切り、開いた切り口に栓をしてしまう。
そうしておいてから手斧を取り、牛の尻を死ぬまでなぐる。
これには一時間ほどかかり、牛は意識を失うまで恐怖と苦痛にさいなまれる。
このやり方だと放血はほんの少量で、牛肉には血液がそのまま残り、
その結果重量が減らないので売り手には得というわけである。