10/10/21 13:09:39 mablw5kw0
ねじめの小説には、自分が子供の頃の思い出として、
あまりにも自分も友人達も野球好き巨人好きであるが、チケットどころか電車賃もないので、
後楽園球場のナイター開始に合わせて友人達と近くの踏切から中央線に忍び込み、
線路に耳を当てて、かすかに流れてくる後楽園の生の歓声を友人達と楽しんだ、との描写がある。
また、60年安保の時、岸首相は「外で暴れている彼らと違い、議会制民主主義の擁護者たる
サイレントマジョリティは、銀座や後楽園球場で平和を楽しんでいる」と言っている。
今、子供達が野球見たさに東京ドームに忍びこむ、なんてことをするだろうか。
そんな描写がそもそも成り立つだろうか。
今、政治家が、サイレントマジョリティは東京ドームで平和を楽しんでいる、などと語るだろうか。
そんなこと言う政治文化が今あるだろうか。
おそらくねじめの言いたいことは、このようなことだと思う。