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残された課題 “岡田の遺産”踏襲か、理想のサッカー追求か
URLリンク(southafrica2010.yahoo.co.jp)
自国開催以外では初のW杯決勝トーナメント進出を果たした岡田ジャパン。
しかし、それはオシム前監督の就任以来、4年間取り組んできた「日本らしい攻撃的なサッカー」を捨てた上での快挙だった。
4年後に向けて、16強という遺産を生かすのか、それとも理想のサッカーを再び追い求めるのか―。
16強に進出した最大の要因は、守備的な戦術への転換にほかならない。「勝つためにどうしなければいけないのか」と考えた
岡田監督が現在の日本と世界の力を冷静に比較。
自分たちで主導権を握る対アジア用戦術を捨てて自陣に引いてブロックをつくって守る対世界用の戦術にたどり着いた。
結果につながった指揮官の判断は正しかった。だが、決断の時期には疑問が残る。岡田監督は常に守備的な戦術への転換を
頭の片隅に置いていたが「(中村)俊輔の調子さえ戻ってくれば、自分たちでパスを回して戦うこともできる」という気持ちが決断を遅らせた。
5月24日の韓国戦に敗れて、6日後のイングランド戦で初めて4―1―4―1を導入。
W杯で採用した4―3―2―1へと移行したのは本番前最後の実戦となった6月10日の練習試合ジンバブエ戦だった。
たった1回の実戦テストで臨んだカメルーン戦では見事に勝利を収めたが、早い時期から守備への転換を決めていればチームはもっと成熟したはずだ。
選手たちも守備的な戦術の必要性を感じていた。5月27日に行われた選手だけのミーティング。本音をぶつけ合った。
守備的に戦うしかないという意見も数多く出た。W杯1次リーグ第3戦のデンマーク戦では岡田監督の指示で4―2―3―1でスタートしたが、
相手FWトマソンのマークがあいまいだったため、遠藤の提案を指揮官が受け入れる形で4―3―2―1に戻して守備に安定感が戻った。
指揮官以上に選手たちは内容を度外視しても「勝つサッカー」を求めていた。
>>2以降に続く