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日本代表は2大会ぶりの16強進出という結果を残しW杯の舞台を去った。
2月の東アジア選手権で惨敗、直前の強化試合で4連敗とどん底を経験した岡田ジャパンが“V字回復”した裏側で何が起きていたのか。
中村を外し本田を軸に据えた“エース交代”の真相は―。
× × ×
分岐点はW杯開幕前日だった。カメルーン戦4日前の6月10日に行ったジンバブエ代表との練習試合。本番前最後の実戦で、岡田監督は本田の1トップをテストした。
本田は前線で起点になった。出場した30分間、運動量も落ちなかった。シュートは1本も打てなかったが、岡田監督は好感触を得た。ベンチに戻った本田に声を掛けた。
「もうちょっとしっかりキープしてもいいんじゃないか。前に向けるなら向いた方がいい」。シュートの積極性には不満があるが、その他には及第点を与えられる。
本田1トップの4―3―2―1。強化試合で4連敗したチームを立て直すにはこの布陣しかない。岡田監督は腹をくくった。
ただ、問題があった。本田1トップの場合、両サイドには本田の守備力を補う選手が必要だ。候補は松井と大久保。
パラグアイ戦翌日の会見で岡田監督は「本田は前線から(相手を)追い回すことができない。全体を考えてこう(いう布陣に)なった」と説明している。
本来の右MF中村は相手を追い回すタイプではない。本田を1トップで使えば、中村を先発から外さざるを得ない。
4月17日、岡田監督はモスクワでCSKAモスクワ―ロコモティフ・モスクワ戦を観戦した。1月にVVVフェンロ(オランダ)からCSKAモスクワに移籍した本田は進歩を遂げた。
オランダでは2部で16得点を挙げ得点力を実証したが、ロシアでは強さが際立っていた。ロコモティフ戦も得点に絡めなかったが、強さとキープ力を発揮した。
「日本代表でも欠かせない存在になった」。指揮官は本田をエースに据えることを決めた。
(つづく)