09/12/15 03:53:47
>>342
まず、家柄や親の身分によるとしか言えない。
元服じたいは成人の儀式なので男子なら身分を問わずに行うが、
貴族の生まれでなければ位を得て昇殿することは無理。
>>343
衣冠束帯の原型、朝服は飛鳥時代の末期にはもう出来ていたが形は参考にした唐のものに近い。
平安時代に入る頃には日本の気候や生活様式に合わせて袖や袴がゆったりとする寛闊化が進行し、
裾を長く引きずる長大化も同時に伴った。
束帯という名前は唐王朝の官服を指すもので、国内の文献で朝服をその単語で呼ぶようになったのは
源高明(914-983)の記した『西宮記』が初出、但し衣服の形式自体は『延喜式』の編纂された
十世紀前半にはだいたいそれに近いものが出来ていたと思われる。
道真はギリギリ唐風と国風の移行期間の人なので束帯そのものを着ていたかどうかは微妙だ。
(神像や肖像画などは後の時代に描かれたものが多いので、その時代の衣服を着てしまっている)
なお、束帯や直衣、狩衣などの装束は平安時代の後半、十二世紀ごろにモデルチェンジして
生地が張ってシルエットのかさばった「強装束(こわしょうぞく)」が現代まで継承されているけど
それ以前は「柔装束(なえしょうぞく)」という源氏物語絵巻などで見られる形状をしていたので
同じ平安時代でも時期に気をつけないと再現映像とかが変な事になる。