09/01/29 21:54:10
>>219
>その服で社交を兼ねている以上、女房装束には社交服の一面があったと言える。
いえません。社交のために出ているのではありませんから。
なお何度も出てくる「社交」ですが一般に平安貴族女性は
身分に関わらず西欧貴族のやっているような趣旨の「社交」はしません。
もちろん、各個別の交流はありましたが、パーティ的な位置付けの
「社交の場」はありません。よって、それようの服もありません。
らしいことをやっているのは、コミックや近代小説だけとおもってもらって構いません。
例に出た踏歌節会も一年の内一日だけです。100歩譲りその日は社交の服の役割としても
後の364日はメイド服です。
>給仕は釆女がやっていたと言ってもよさそうだ
・・・もやっていたでしょうが、女房もやっていました。
釆女は主に豪族が逆らわないようにという
天皇への人質ですから宮中のへ奉公が主。
女房はそうではありませんから、前に言ったように貴族の屋敷に
勤めることもありました。そこには通常、釆女はいません。
ですから女房が酒宴の給仕をすることが主です。