06/01/11 00:25:45
なぜ、平安というといつもいつも貴族の話ばかりになるのか!
庶民からの搾取によって成り立った雅などに一辺の価値もない!
このような腑抜けた権力者などより、地に根ざし日本を支えた労働者にこそ
脚光を当てるべきである!革命万歳!
101:101:Over 100 Thread
06/01/16 19:07:01
このスレッドは100を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
102:天之御名無主
06/01/17 00:09:23
なにやってんだお前
103:天之御名無主
06/01/27 21:09:50
>>94
> 有職知識
ってなに?
104:天之御名無主
06/01/29 01:35:41
「有職(ゆうそく)」でぐぐって一番最初に出てくるサイトでも読んどけ
105:天之御名無主
06/01/29 09:25:16
あほか
106:天之御名無主
06/02/02 18:37:56
貴族の人はなんか変な布引きずって歩いてます。
あんなのつけてたらほかの人に踏まれたり、牛のくそがくっついたりして大変だと思いました。
107:天之御名無主
06/02/03 05:17:54
そりゃ屋内を歩く時以外ははしょるのでは。
むしろ衣冠束帯で道を歩く機会もあまり無さそうだし。
108:天之御名無主
06/02/03 07:46:52
ここって一般庶民の生活はスレ違いなの?
いや、にもろ貴族と明記してあるからあれなんだけど、
109:天之御名無主
06/02/03 10:37:08
>>106
布引きずったひとは
高貴なひと達じゃないの?
引きずってない人は
それほど身分の高い人たちでは
ないのでは。
天上人とでも言うのだろうか、
その人たちは牛車で外出するだろうし。
布っていうのは、「裾」の事かな・・・
110:天之御名無主
06/02/03 13:12:01
今日は節分でおじゃる。
恵方のほうでチンのマラをしゃぶれw
111:ぴる来る ◆cRinn.D6KE
06/02/03 15:56:41
冬は寒かっただろうな(* ̄ー ̄)
112:天之御名無主
06/03/16 17:52:51
4 名前:lk 投稿日:2004/09/04(土) 11:18
サッチャンハネ、コウツウジコデ、ハネラレタ、ダカラ、カオガトレテ、
ドッカトオクヘ、トンデチャッタ♪悲しいね、さっちゃん♪
さっちゃんは即死で死んじゃったの。このレスを見た人は…
さっちゃんが0時に行ってあなたの首をかまで切り取っちゃうよ♪
いやなら、さっちゃんが行くまでに、9回違うスレにレスを送ってね♪
あ、さちゃんの顔は、こんな顔だから、
探してくれるのもイイよ♪オネガイネ…。
113:天之御名無主
06/03/17 23:34:50
そういや平安時代の人って下着はなに穿いてたの?
やっぱふんどし?
114:天之御名無主
06/03/18 11:30:34
質問はageて
115:天之御名無主
06/03/18 14:06:55
>>113
「したのはかま」とか「たふさぎ」と呼ばれるもの。
たふさぎ 【犢鼻褌/褌】
〔古くは「たふさき」〕短い下袴。今のふんどし、またはさるまたのようなものという。とうさぎ。
「わが背子が―にする円石(つぶれいし)の/万葉 3839」 三省堂提供「大辞林 第二版」より
「犢鼻褌」という語自体は司馬遷の『史記』などにも出てくるよ。
116:天之御名無主
06/03/18 22:11:18
>115
ありが㌧
イメージ検索してみたけどふんどし通販ショップの画像しか引っかからなかった…
117:天之御名無主
06/04/21 22:26:28
平安時代の子供の髪型について調べてたんだけど
「うない」を調べると資料によって
・首筋までの丈で切りそろえた髪
・首の後ろで一つに結んだ髪
の二つの説明が出てくるんだけどどちらが正しいんでしょう。
118:天之御名無主
06/04/22 16:18:11
>>117
いくつかの古語辞典と国語辞典を見てみたんだけど、
そのなかでも広辞苑のものが端的に答えているので、引用すると・・・
うない(うなゐ) 【髫/〈髫髪〉】
子供の髪をうなじで束ねたもの。また、子供の髪をうなじのあたりで切り下げておくもの。
とあるので、どちらも正しいのではないでしょうか。
119:天之御名無主
06/04/25 04:18:14
生理のときはどうしていたんだろ?
ケガレとか言って寝ていた?
ずっと疑問です
120:天之御名無主
06/04/25 22:47:07
月のけがれとか言って一週間くらいそれ用の離れに籠ってたんじゃなかったっけ
121:天之御名無主
06/04/25 23:00:10
>>120 ありがとうございます。なるほどなあ。
122:天之御名無主
06/04/26 01:15:49
ところで平安時代の女の人ってトイレの時もセクースの時も袴脱がないで持ち上げるだけだったって本当かなあ
123:天之御名無主
06/04/29 07:53:30
行灯袴なら問題ないけど股のある差袴とかじゃ難しいんじゃね?
124:天之御名無主
06/04/30 21:46:24
パナソニックのDigaのCM面白いよな
蹴鞠とサッカーはだいぶ違うとは思うけど
125:天之御名無主
06/04/30 22:01:57
>>124
そういや京都の白峯神宮(飛鳥井家)は蹴鞠の神様で、サッカーの神様でもあるね。
126:天之御名無主
06/04/30 22:41:13
そういえば何で日本代表のエンブレムって八咫鴉なんだろ。
脚がいっぱいあるからサッカー上手そうとかそんな理由だろうか。
127:天之御名無主
06/04/30 23:57:46
>>126
たしかサッカー協会の功労者が和歌山(熊野)出身で、それがきっかけでヤタガラスが
選ばれたんじゃなかったっけ?
128:みら
06/06/07 14:30:13
えういrでw
129:未来
06/06/07 14:32:27
私、かわいい。
130:天之御名無主
06/06/08 04:44:16
なにかの昔話で烏帽子を川に流してしまった男の人が
「これでは家に帰れない」と嘆くような話があったと記憶しているのですが
(虫を入れて助けて?あげてたような気も)
こういった話の収録されている説話集などありましたでしょうか。
また、なぜ烏帽子をかぶってないと家に帰れないのでしょうか。
131:天之御名無主
06/06/08 13:15:54
>>130
>また、なぜ烏帽子をかぶってないと家に帰れないのでしょうか。
烏帽子を被るということは、烏帽子親、烏帽子名などという言葉があるように、元服(成人)したということ。
一人前に神事に参加する資格、村落共同体に参加する資格を得たことも意味します。翻って考えると、
神仏への畏敬の念、烏帽子親になってくれている擬制的親族に対する敬意を示していることにも繋がります。
中世の絵巻物などを見てみても、履物も履いていないのに烏帽子だけは被っている人がいたりするのも
これが理由。頭頂をあらわにすることは恥ずかしいという概念があったのですね。これは屋内においてもそうです。
132:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/06/08 16:37:47
南北朝時代の『七十二番職人歌合』に登場する博徒は、何もかも失って裸に
なってはいますが、それでも烏帽子は着用しています。
烏帽子というものは、病人が見舞い客と寝たまま会う際にも外さぬもの。
そして、外すと恥ずかしいという以上に、恐ろしいという感覚もありました。
烏帽子をかぶらず、もとどりも結わずにいたのは、鬼や賤民ぐらい。
僧侶は勿論結っていませんでしたが、いずれせによ一般人ではない。
15世紀後半になると、烏帽子を外す習慣も出て来ますが、それでも髪を結
う事は近代まで続いており、結わない賤民と区別をつけていました。
烏帽子をつけず、髪を結わずでは、自分が賤民に落とされてしまう事になる。
勝海舟なども、薩長はごみ拾いの様な頭をしていると言っていました。
今の人間が過去に行けば、皆髪型でまともな扱いはされません。
133:天之御名無主
06/06/08 23:25:20
>126
>脚がいっぱいあるからサッカー上手そうとか
面白いw
134:天之御名無主
06/06/09 10:03:07
素朴な疑問
烏帽子と犢鼻褌一枚しか身に付けてない状態で
更にあとひとつ脱がないといけないときはどっちを残すべきなんだろう
135:天之御名無主
06/06/09 10:24:54
>134
平安時代だと烏帽子を残すだろうね。
136:天之御名無主
06/06/09 18:13:26
ハダカ烏帽子か…
マニアックなようなそうでもないような
137:天之御名無主
06/06/11 23:58:07
>>131-132
ありがとうございました。
烏帽子(冠)をかぶっている、髷を結っていると言う事が
常民としての象徴でもあるわけですね。
138:天之御名無主
06/06/13 11:47:59
みずらから烏帽子っていつごろ変遷したんだろうな
139:天之御名無主
06/06/13 13:18:23
とりあえず唐風の衣装を宮廷で着るようになって
冠というか頭巾を被るようになったあたりからかな?
140:天之御名無主
06/06/13 18:22:40
そもそも、髪を結ってないとちゃんとした人間と見なされないっていうのは中国の方の風習だよな。
141:天之御名無主
06/06/21 18:07:07
初冠(元服)とか烏帽子名とか、そういうのは
社会的にどのあたりの階層までの風習だったんだろ?
貴族の社会でだけなのか、一般庶民でも同様だったのか…
142:天之御名無主
06/06/22 04:30:21
庶民の若者宿の宿親と宿子の関係なんか、
烏帽子親と烏帽子子の関係とパラレルだし、
成人になって、
村落のメンバーとして認められるためのイニシエーションなんていうのは、
庶民の社会でも当然にあるだろ。
元服とかそういうのとは別の形式かもしれんが、
社会的役割は同じ儀式があるはず。
143:天之御名無主
06/06/22 23:04:48
しかし御伽草子とか昔話系の主人公なんかだと
「○○太郎」みたいな童子名のまんま嫁もらったり領地もらったりしてるよな。
おはなしだから主人公の名前が変わるのは面倒だと言う事情なだけなのか
庶民は別に義務的に名を変える必要はなかったのか。
金太郎が名前を変えたのは武士になった(社会的階層を移った)からだしなあ。
144:天之御名無主
06/09/22 23:49:11
>>122
平安の女性の袴は股部分が割れて開いておった→即セクースOK!だったって
寂聴センセイが書いてます。
どうりで光源氏が手篭めに時間がかからんわけだ
145:天之御名無主
06/09/25 11:35:43
平安貴族たちの子育てってどうしていたんでしょう?
子育てを乳母とか女房にさせていたなら、産みの母親の役割って何があるの?
146:天之御名無主
06/09/26 23:26:48
リーダー格の奥様の家に集まり
皇室やジャニやブログや韓流ドラマに盛り上る
で皆でお稽古事。
有閑夫人のすることは今と変らん
147:天之御名無主
06/09/27 20:50:55
まあ娘が生まれた場合はお琴や歌の作り方や化粧の仕方、衣の合わせ方や
行儀作法くらいは教えるんじゃね?
148:天之御名無主
06/10/05 12:32:07
産みの母親は血筋がいいのがお仕事だったんじゃないの?
こんな家出身のママだよ、っていうのが大事だったでしょ?
149:天之御名無主
06/11/20 10:28:55
源氏物語なんかだと奥さんは装束に使う布を染めるのも仕事のうちで
明石の上なんか特に(染色が)上手い、みたいなこと言ってるけど
染め物なんて汚れるしで体力が要るし臭いもキツイしなんて3K作業を
貴族の奥様方ができたんだろうか
まあ染料に布を浸けたり絞ったり洗ってさらしたりなんかの力仕事は
下働きの人がやったにしても、染料の調合や灰汁の調節なんかは
奥さんの実家ごとの秘訣があるらしいし
150:天之御名無主
08/03/21 03:02:57
そろそろ水底が見えてきたので浮上
151:天之御名無主
08/03/22 05:02:29
歯磨きや生理はどうしてたんかな。12才で元服て成人て事だよね。早いなあ!
152:天之御名無主
08/03/22 13:13:49
ブラシという物は無かった。だから楊枝系統だろうね。>歯
生理はいっせつによると垂れ流しという話もある
だから緋袴で目立たないようになっていたとか。
しかし下に下着的に白い袴をはくときも有るし
どうなんでしょうーねぇ。
成人が早いのは平均年齢が低かったから。40歳くらいじゃなかったっけ。
早く大人になって子供作って育てて次の世代に繋がなくてはならなかった。
153:天之御名無主
08/03/22 21:45:25
生理の間は忌み籠もりとかいって
自分の部屋にこもって動かなかったんじゃなかったっけ
154:天之御名無主
08/03/23 12:18:41
動くにしても、こもるにしても
どんな手当てをしていたか・・・というのは
よくわからないんだよ。推測の域なんだ。
155:天之御名無主
08/03/24 21:11:33
現在の生理用品が広まるまでずっと古布をつめていたって聞いたことがアル
俺は男なので生理の苦労は実感としてよくわからないが
面倒だっただろうなぁ
今でも面倒そうだもんな
女はすげーな
男なんかボッキが目だって困るとか夢精で起きたら股間と下着が気持ち悪いぐらいだもんな>性的な悩み
156:天之御名無主
08/03/24 22:11:17
>>151
楊枝は使ってたし、塩で磨いてた。
157:天之御名無主
08/03/28 08:51:38
平安時代に飲まれていたお酒って、どのようなものがあるんでしょうか?
158:天之御名無主
08/03/28 09:46:20
リキュール類
159:天之御名無主
08/03/28 12:51:06
この時代に蒸留酒なんかあるかよ。
この事態のは今のどぶろくのような濁り酒。
清酒が出来るのは江戸時代から。
160:天之御名無主
08/04/02 12:20:24
平安時代の酒造り
URLリンク(www.gekkeikan.co.jp)
「延喜式」(905~927年)(平安期,宮中での儀式や制度の規定書)には
朝廷における酒造法が詳しく記されています。
たとえば、いったん発酵の終了したもろみを濾し、この酒に、さらに蒸米と米麹を入れて再発酵させ、
再び濾すという「シオリ」法でつくられる「御酒(ごしゅ)」。
あるいは水の代わりに酒を用い、こうじの量を多くし、
甘味を強くした「れい酒(れいしゅ)」(ひとよざけ)。
毎年、秋の新嘗祭の節会酒として、水を少なくし、濃厚甘口とした「白酒」。
それに久佐木(くさぎ)の灰を加えた「黒酒(くろき)」。
その他、麦芽も併用した「三種槽(さんしゅそう)」。
もろみを臼で磨った「すり槽」など、10種類にも及ぶ多種類の酒が記されています。
12世紀、もろみを濾さないで、その上へ蒸米,米麹(こめこうじ),
水を重ねて加えていく「トウ」と呼ばれる醸造法が開発されました。
「御酒」もこの方法でつくられるようになり、これが次第に、酒づくりの主流となっていきました。
今飲んでいるものとは、系統の違う製法の酒だったんですね。
まあそれなりにバラエティには富んでいたようですが。
161:天之御名無主
08/04/02 14:24:27
大福茶
作り方は簡単!湯飲みに昆布と梅干しを入れ、
若水でいれた熱いお茶をそそぐだけ。黒豆や山椒を入れる場合もある。
これは、平安時代に疫病で悩まされていた天皇がこのお茶を飲んで治ったのが
はじまりとされる縁起のいいお茶。
162:天之御名無主
08/04/02 21:46:15
何で治ったんだ?
科学的に説明して欲しい
163:天之御名無主
08/04/03 02:53:05
疫病だと思ってたけどビタミン不足だったんじゃないか?
164:天之御名無主
08/04/03 03:09:39
間違えた
ミネラル不足。
165:天之御名無主
08/04/03 13:57:24
しかし、変なのは「お茶」は当時あるにはあったが
そういう飲み方はしてなかったはず。
天皇だから別なのかな。
166:天之御名無主
08/04/18 20:36:32
当時のお茶って、大陸から輸入するしかない超高級品じゃなかったっけ
(茶の国内栽培が普及したのは鎌倉期)
もともと天皇含む大貴族やニ山の高僧くらいしか飲めなかったのに
だから別っていうのも妙じゃないかな
167:天之御名無主
08/04/19 13:14:15
>>166
いや、そうでもないよ。
貴族は「闘茶」という利き酒ならぬ利き茶みたいなのは
していたみたいだから、そこまでの貴重品ではなかったと思う。
また利き茶が出来るほど種類があったと言う事は
それなりに色々栽培していたと言う事だろう。
168:天之御名無主
08/04/19 14:20:28
平安時代と言っても遷都前後から鎌倉時代突入直前までの400年間くらいあるんだから
「平安時代のいつごろだったらそうなのか」というのをはっきりさせておかないと
話がややこしくなると思う。
169:天之御名無主
08/04/29 16:46:22
>>139
平安貴族男女の衣冠束帯衣装は、北方騎馬民族ルーツなの?
125 :天之御名無主:2008/04/09(水) 00:05:57
まあ大昔だって北方騎馬民族ルーツのデザインを衣冠束帯とかいって仕事に着て行ったんだから
大して変わってないんだよ
でも平安装束も夏場は粗い織りの羅で通気を良くして涼をとってた・・・・
民族衣装について語るスレ
スレリンク(min板:125番)
170:袿に萌え
08/04/30 13:33:36
>>169
唐の装束が騎馬民族の流れも汲んでるんだろ。
しかし奈良時代の装束より平安のそれが
騎馬民族っぽい感じがするのは、そのとおりだな。
まあおれは男性装束には興味ないから、
詳しくないけど。
171:天之御名無主
08/05/03 20:04:30
ちょっと高すぎだろ。
唐衣(からぎぬ)と、表着(うわぎ)、裳(も)だけで550万円。
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
当時としては相対対価として、ここまで高くないはず。
172:天之御名無主
08/05/05 15:55:18
>>169
袍はスタンドカラー、袵(おくみ)があり盤領(あげくび)の着方、
サイドに入ったスリット(後に縫腋袍では無くなる)と
騎馬民族衣装の流れを汲んでいる
まあ日本に入ってきてから床に座るライフスタイルに合わせて布地に余裕のある
ゆったりしたデザインになったり、平安中期以降の強装束化でもはや別物と化しかけたりもしたけれど
173:天之御名無主
08/05/24 02:25:03
食事は現代みたいに主食のご飯と汁やおかずが普通だったんですか?
貴族は魚や野鳥も食べただろうけど庶民は何を食べてたんだろ
豆や雑穀くらいは食べられたのかな?
稲作や農業って平安時代に行われてましたっけ?
平安時代のたんぼや田植えの絵巻を見た記憶があまりないけど…
174:天之御名無主
08/05/24 03:36:24
>>171
衣に仕立てられるだけの絹糸(当時の蚕は糸が細く現在のものよりコストパフォーマンスは悪い)と
染めるための染料(種類によっては希少だったり輸入に頼るしかなかったりする)を考えれば、
たとえ縫製のコストがバカ安かろうとも富裕な貴族以外ではそう簡単に購えるものでもないだろう
庶民は一生麻か綿の藍か渋染めを筒袖に仕立てて着るしかないんだぜ
175:天之御名無主
08/05/24 11:58:25
>>173
>主食のご飯と汁やおかずが普通だったんですか
普通だった。味付けは大分ちがうけどな。
意外な点ではニワトリの肉や卵は禁忌だった。
代わりに雉などを食べていた。
庶民のほうが地産地消で生鮮な物を食べていて
(種類はおおくないが)健康的という説もある。
もちろん農業はされていた。絵巻物は貴族の話の挿絵だから
そんなシーンは無いだろうな。
176:天之御名無主
08/05/24 12:01:55
>>174
いや、しかし十二単って、上着と裳と唐衣だけじゃないでそ?
一式取り揃えると現代の価値で、1千万前後(?)かも、・・なんて破格過ぎるよ。
いまの晴れ着の高級振袖位の感覚だろう。いくらなんでも。
177:天之御名無主
08/05/24 12:52:38
まず現代の感覚で計るのは色々と無理
「破格かどうか?」を判断するには、
・当時の貴族の収入(年代、地域、階級なども明確な資料をソースに)
・当時の貨幣価値や物価データ
・当時の人間にとっての衣服というものの重要度
を明確にしないと実際には一式幾らぐらいが相場なのか、果たしてどれくらいからが破格なのかが判断できない
3番目に関しては、帝などの高貴な人から賜る恩賞に反物や衣が含まれている事とか
貴族の屋敷に押し入った物取りが他の家財に優先して家人の着衣を剥いで行ったなどという話からするに
結構な高級品として扱われていたのではないかと考えられる節はあるかも
178:天之御名無主
08/05/25 13:40:34
>>177
いやいや。
まず、十二単は今でこそ超高級装束だが、当時としては
言ってみれば、上等のメイド服だ。
身分の上の人に敬意を表すためにちゃんとした格好で奉仕するという形。
だから、そんなに金はかからないとするのがベースだろう。
下に使える者のほうの装束が目上と逆転するというのは
正に本末転倒だし、財産や収入の面から物理的にも無理だろう。
さらに、あわせなどは季節ごとに色目を変えたりしなければならず
変えたらそれに合わせて上着や唐衣も変えないといけない
(通年用の色目もあるにはあった)
ということは、身分の低い側貴族の娘の家にそこまでの負担は
現実として無理だろう。
もちろんそれが出来る貴族もいただろうが、数多い女官全部に
当てはまる話ではないだろう。
179:天之御名無主
08/05/25 23:29:29
当時の詳細なデータがないと破格かどうかは判断できないと言っているのであって
高くて当然だとは言ってないのだが
180:天之御名無主
08/05/26 14:33:08
判断できるとおもうけどなあ。
現代感覚の「破格」という位置に無いと言う事は
上記の理由からないだろう・・・というくらい「判断」できない?
けっして安為な位置にあるものではない(没落貴族が
奉公するには、貸し衣装(?)でやるしかなかったくらいだから)
だけど一式1千万円?というのは余りにも、おかしいって。
奉公するのは何を言っても生活のためだろう。
それにはまず服に1千万円・・というのは変だよ。
服に払う1千万有ったら、貴族のような生活が継続できるだろwww
181:天之御名無主
08/05/27 02:21:14
>>175 ありがとうございました
よく露出してる平安絵巻って確かに貴族の遊びシーンか庶民の飢饉シーンばっかで食事シーンはないですね
ご飯を炊いて食べてたのが一番意外でした
芋粥(甘いんですよね)のイメージで、芋とか豆とか雑穀だったのかと
キジはよくて鶏や卵がダメとはまた面妖な…
猟科の野生のキジや鴫や鴨を食べてたのは納得いくんですが鶏と卵がタブーはなんでなんでしょうか
宗教的な理由なのか、所謂下賎な食べ物とされてたんですかね?
飢饉は別として平時は庶民も結構いいもの食べてたんですね
これも意外でした
182:天之御名無主
08/05/27 05:44:23
ご飯を炊くといっても、今の飯よりはちょっと固め
今のご飯くらいに水分が多いのは「姫飯(ひめいい)」といって
歯の悪いお年寄りや病人しか食べなかったそうな
183:天之御名無主
08/05/27 14:13:11
>>181
>宗教的な理由
そのとおり。
朝を告げる鳥と言う事で神聖視していた。
でも食って処罰された人のこと書いてある物もあるので
食べている人は食べていたのだろうと思う。ww
184:天之御名無主
08/05/28 07:30:50
>>178
メイド服は違うんじゃないのかなー
だって、位のある女官として朝廷に出仕するときにも着るんだし
国会議事堂の中で女性議員や官僚がメイド服とか着ないよね
185:天之御名無主
08/05/28 19:57:58
>>184
いや、違う。メイド服で正解。
やっていることは、メイド。
位のある女官なんていって
宴席で給仕しているときに、
服を脱がされかけて逃げたりするような
境遇になるわけ無いだろ。
出仕するのは身分ある貴族の娘だが
奉公先(宮中や貴族の家)は、もっと身分の上の貴族とか
その正室さんとか皇后とか自分より遥かに上の人のところばかり。
186:天之御名無主
08/05/28 20:04:05
>>184
更に、十二単を着て宮中に参内していると言う事は、
「女性議員や官僚」的身分ではない証拠。
身分ある女性は袿姿でくつろいでるか、
正装のときでも小袿や細長を着た。
現在の皇室では皇后や后に十二単を着せる場合があるが
あれは本来の時代の使い方から言うと本末転倒。
上の身分の人は楽な格好。下に仕える者が
きっちり着込んだ礼装が当時の常識。
187:天之御名無主
08/05/28 21:19:54
メイド服ほど特化はしてなさそうだけどな…
例えるならスーツ+パーティドレスみたいな感じか
188:天之御名無主
08/05/29 00:24:05
とりあえず、煽り口調で議論してるお前ら
発言にはソースつけてくれ
何々という物語や日記にこういう描写があって言ってるのか
個人的な思い込みと偏見で言ってるだけなのかわかんないからさ
189:天之御名無主
08/05/29 20:33:24
煽り口調?の俺ですww
てか、そんな風に読めたのならスマン。
装飾を削って要点だけ書きつらねていくほうが
俺の趣味なのでこうなった。
ソースだが、「裳唐衣」「女房装束」「袿」「小袿」
などで、ぐぐるとそれなりに判ると思います。
俺はそうやって調べました。
(この時代の小説書くときに色々WEBで調べたのだ。)
{十二単}という言葉は江戸時代からで当時はそんな言葉は
無かったとか、俺自身いろいろ勉強なりました。
じゃあな。
190:天之御名無主
08/05/29 20:38:05
学問板で草生やしてる奴とか
それだけで荒らしに見えるし
191:天之御名無主
08/05/29 20:44:55
>>187
ついでだから書いておくが、そう言うものでもなかった。
くり返しでスマンが十二単は「メイド服」だ。
比較的身分の下の貴族の娘が、相対的に上の身分の所へ
出仕、奉公するときに着るものが「十二単」です
(当時は裳唐衣、五衣唐衣裳 といった)
初め俺も「十二単」と「袿」「小袿」・・・などの区別が全くつかなかった。
イラストとか絵巻見ても{みんな一緒}にしかみえなかった。
でも区別がつくようになると、絵巻とかは、ちゃんと書き分けられている。
ただし、江戸時代とか後世に平安時代の事かかれたものは考証が曖昧。
(有名な「小野小町」の絵図とか十二単着てるのが多いが
小町の時代には、十二単は無かった。)
そのあたりは、差し引いて、考えてみないといけないですが。
192:天之御名無主
08/05/29 20:46:34
>>190
そうか、すまんな。
俺ここの本住人?でも無いしな。
でも書いていることは本当だ。
自分のために十分調べた結果だから。
ではでは。
193:天之御名無主
08/05/29 21:18:29
ネットで調べただけでそこまで上から目線になれるのも凄いですね。
ちょっと感心しました。
ちなみにちゃんとした業者にちゃんとした素材で作ってもらう有職装束がバカ高いのは
材料費・加工費・その他に照らしてそこそこ妥当でしょう。
コンスタントに数の出る商品じゃないから注文がある都度の特製でコストも下げられないわけだし。
振袖や訪問着だってデパートで売ってるような安物ならいざ知らず、
ちゃんとした呉服屋で本物の材料で仕立てたものだと100万越えはざらですから。
194:天之御名無主
08/05/29 21:35:28
個人的にはWeb知識は孫引きだと思ってるから
なるべくそこで紹介されてる参考文献なんかがあれば
そっちを参考にするなあ
とりあえずウィキペディア鵜呑みにしてpgrされたりするのは恥ずかしいよね!
195:天之御名無主
08/05/30 12:52:20
ネットは貧者の百科事典だからね。
もっとも玉石混交の玉と石を見分ける目が必要。
それがあれば、学会提出用の論文とか
書くのでなければ、そこそこ役に立つ。
まあ「目」がなかっても簡易的に
区別する方法もあるにはあるけど。
196:天之御名無主
08/05/30 20:55:01
上から目線の俺です。そう見えたのなら、どうも申し訳ありませんでした。
単なる2ちゃん用語、方言、スラング風な書き方が、ここではそう言う傾向に
とられ易いのだと判りかけてきました。以後気をつけて行きたいと思います。
なお、価格は現在においては、仰られるとおりですが、当時としては今ほど希少な物ではなく、
手工業とは言え、現在よりは通常に流通する物であり、これまた現在のように受注生産が主という物でもなく、
更に、中、下流の貴族の者がある一定の消費する物であるという前提で、確かに庶民に買えるものではなく、
没落貴族でさえ、レンタルで誤魔化すしかないほどのものであろうとも、当時の相対価格としては
仰る高級振袖相当~・・のものであろうと推察するのが妥当・・・と考えるのが、先の私の書き込み根拠です。
書籍等による裏づけの無い物を、ここには書くなと言うご指摘だとしたら従うしかありませんが、
大方の傾向として、外れた考え方ではないと、勝手に考えています。
また、「メイド服」というのは、私独自の例えですが、WEBで調べる限り私の理解の仕方に
準拠した物は見つかりこそすれ、逆は見当たりません。比較的詳しく長くそれなりの知識の
ある方が研究しておられる分の発表であろう所ぼど、私の書き込みに準拠する内容が発表されています。
よって当時しては「十二単は、その場の一番下の身分の者が、目上に対して敬意を表すために着るものである
(裳の着脱にみられるように・・)」という考え方に帰着しました。
しかしこの考え方、数多いWEB上の書き込み傾向が全て玉石の「石」であると言われれば
返す言葉はありません。
そうではない。私が「上から目線」??で否定した{十二単はスーツ+パーティ服だ。}
{身分ある女性「議員、官僚」相当の女性が参内時に着るものであるのだ}・・的なことが書いてある
書籍等が存在するなら、ぜひとも後学のために御教授くだされば幸いです。
197:天之御名無主
08/08/06 15:04:26
貨幣価値として換算するのはむずかしいから、
当時の贈答品の中から価値を探ぐるとか、
あらゆる階層の中で相対的にどんな感じだったかを
探っていくしかなさそう。
あと、刺繍やら染物は貴族女性のたしなみだったし、
仕立ても自分たちでやるわけだから現代の有職衣装の
値段とは単純に比較できないと思うしなぁ。
198:天之御名無主
08/08/07 13:53:11
>>197
>単純に比較できない
というか相対価格で見るしかないと思う。
現代の有職衣装は、プレミア的希少価値が上乗せされたり
ステイタス的に高いものほど売れる的圧力が非常に高いから
たとえば純粋に素材と手間賃と・・というような価格ではない。
だから、その分考えないといけない。
その点で、たとえば江戸時代の大名の奥方、娘などの
打ち掛けなどの価格は、かなり当時の相対価格の参考になると思う。
もちろん服作成自体の技術や素材、その生産技術の違いは
敢然と有るし、さらに当時にもステイタス的な価格の上昇圧力も
無かったとはいえないが、現代のそれよりは「実用品」という点で遥かにましだろう。
199:天之御名無主
08/08/09 19:34:48
ウェディングドレスが一回しか着ないのにバカ高いみたいなもんですよね
今時の有職装束のお値段は
200:天之御名無主
09/01/24 18:54:03
部屋の中で排泄してたってのが衝撃だった
知れば知るほど幻滅させられるのが平安時代
201:天之御名無主
09/01/25 14:09:58
>>200
>知れば知るほど幻滅させられるのが平安時代
ベルサイユなフランス貴族の生活よりまし。
平安時代にあった、おまるりようなものもなく、
マジでその辺に捨てていた。
だから宮殿はめっちゃ臭いし病気の温床。
ま、だから香水とかが発達したわけだが。
知れば知るほど幻滅させられるのが「ベルサイユの薔薇」
ww
202:天之御名無主
09/01/26 10:28:50
メイド服ってどういう意味で言ってるんだろう
メイド服は簡素な仕事着で、使用人のお仕着せみたいな認識してたけど、
メイド服=十二単はちょっと言いすぎじゃないかなと思うんだ
「使用人の身分としての服」と言う意味でならイコールでつないでも問題ないけど、
実際概念がかなりかけ離れてる気がするぞ
少なくとも力説して「十二単=メイド服」と言い切るのはちょっとどうかと?
外国で言うとコンパニオンとか家庭教師とか?……も合わないか
203:天之御名無主
09/01/26 14:19:43
単なる仕官服ってことで。
社交服なかんじに思っている書き込みに
たいしてのもの。
ちなみに酒宴の給仕とかも十二単で
やっていたらしい。やりにくかっただろうが
それが礼儀だったんだろう。
まあそんな例がメイド服そのものでしょ
よった男に服の枚数数えられてして逃げ出す・・
なんて書いて有ったのはあれなんだったっけかな。
204:天之御名無主
09/01/26 18:38:27
>>203
十二単は「宮女の制服みたいなもの」ならわかるが、
メイド服にこだわるのはなに?
メイドはブルーカラーで、絶対に貴族の女性とかがやるもんじゃなかったよ
仕事の内容が似てるからだけでこじつけることではない
しかも仕事の内容と言っても「家庭教師」とか「話し相手」とかは含まれないし
誤解を招く表現だと思うけどね
それなら「十二単はコックさんの服みたいなもの」と言う言い方もできるわけだから
(「それが礼儀」と言うカテゴリでくくるなら)
205:天之御名無主
09/01/26 18:58:30
それと、メイド服は今で言う「メイド服」を想像してないか?
昔は簡素な服にエプロンやらをつけただけだぞ。
要するに「働きやすく、見苦しくない」服だ。
メイドというより家政婦って言った方がイメージしやすい。
また、家庭教師はメイドとは別格で、これまた地味な服装をするのが常だった。
ただし、制服のようなものはなく、とにかく地味な服。
金がない良家の女子などはこれをやることもあった。
話し相手、コンパニオンもメイドなどとは別格。
これまた良家の子女がやっていた。要するに貴族のお嬢様の話し相手。
話し相手になるので、同階級か、あるいはそれに近い人がやっていた。
別格と言うより「階級が違うので、社会的な扱われ方もまったく違った」と言う意味。
繰り返すが、
「十二単は制服みたいなもので、本当に高貴な女性は違う服を着ていた」と言う表現なら
なにも反論することはないが、
「メイド服みたいなもの」は語弊がありすぎる。
206:天之御名無主
09/01/27 12:45:19
「十二単は制服みたいなもので、本当に高貴な女性は違う服を着ていた」
という意味で「メイド服」と使っている。
あなたの言うような「メイド」「家政婦」のつっこんだ実情に基づいた事情を加味していません。
それは一般的にそれらに対してそこまでの事情を詳細に知っている人は
多数派ではないと、まわりをみて思うからです。
十二単が社交服であるとか、礼服であるとかパーティ服である・・・等などの
一般的それら見解意見・・に対してこちらも一般的見識としてメイド服といいました。・
もちろん、有効統計値として役立つアンケートもしてないのに勝手に言うなという
お叱りなら、甘んじて受けますが?
私としては、文献に載ってなくても、アンケートの裏づけがなくても
常識の範囲でそういう言葉の使い方は適当であると思っています。
207:天之御名無主
09/01/27 12:51:08
ちなみに、今後の参考のためにききますが
パーティ服、スーツ、礼服・・等と具体名をもってそれを表する会話の中で
「十二単は制服みたいなもので、本当に高貴な女性は違う服」という代わりに
主人・貴人などに仕えるために使った制服のようなものの名前。
「**服」って具体的な例えとして使える適当なものありますか?
いいナと思ったら、今後はそれを使っていってもいいかなと思ってます。
208:天之御名無主
09/01/27 15:38:55
十二単は宮女の仕官服、でいいんじゃないの?
メイド服よりは理解しやすいぞ、一般常識的に
個人的にはスーツもわかりやすい
しかし、あなたの言うことを鵜呑みにしてだけど、十二単に本当に社交的な側面はなかったのか?
給仕するから違う?
単に身分差をあらわすもので、仕事はするが十二単に社交的な意味はあった、
ということはないのか?
社交服と言うよりは仕官服の側面が強かったのかもしれないが、
彼女たちの仕事場所が宮廷で、そこで社交も兼ねる以上、社交的な意味合いがないとは思えないんだが
それとも社交は別の場所でしていた、とか?
それなら社交用の服があったのだろうか?
個人的には十二単より平安時代の庶民の生活に興味がある
暗黒時代ってイメージが強いが、それは羅生門読んだからかもしれん
その辺りも知ってたらついでに教えてくれるとありがたい
209:天之御名無主
09/01/27 18:45:54
貧しいながらも、文化的な生活をしてたよ。
薬玉を飾ったり、歌を詠んだり、お寺に行ったり。
蜻蛉日記に少し庶民の生活が載ってる。
210:天之御名無主
09/01/27 22:48:12
>>209
ほう、そうなんだ
ありがとう
羅生門のあの有様は、飢饉か戦争の時かな?
他にも平安京は国際色豊かだったとか聞いたことあるな
211:天之御名無主
09/01/28 14:38:22
>>208
>十二単は宮女の仕官服、でいいんじゃないの?
今度は私が突っ込み返す形になるが、仕官服・・ときいて、はてそれを実態的に
一般の人がうまくイメージ出来るかどうかということもあるのじゃ?
当該女性が昇殿するのは、別に官位を受けたり役人になったりするのではなく、
お偉い女性に仕える・・(だけではないが)のが、女房であり、
実態は「お返りなさいませ、ご主人様」的にかなり近いものだと見えるぞ。
それこそ家政婦とかお手伝いさん・・だよ。少なくとも「仕官」ではないよ。
紫式部とか清少納言も、役人でも作家身分でもなく、
ただのお手伝い身分のなか、たまたま文才が目に止まっただけで
身分はあくまでも家政婦なお手伝い的なメイド。「女房」なんですよ。
あと、社交面だけど、基本的に貴族の女性が宴会や、それに類するものに出ることは
宮中の給仕以外に無いのが実際。西欧の舞踏会のような位置に相当する
「女性も参加する社交の場」「女性だけの社交の場」と言うものは、基本的に有りません。
成人女性の服は外出用をのぞくと袿姿か細長で、目下の者が十二単。
その中で一番下の者が喪までつけた姿で礼儀をあらわします。
212:天之御名無主
09/01/28 20:22:11
>>208
>>203で自分が仕官服と言っているよ。
その意味で俺も仕官服と言ったんだけど、違うならそういうたとえを使わないで欲しいな。
>当該女性が昇殿するのは、別に官位を受けたり役人になったりするのではなく(中略)
>それこそ家政婦とかお手伝いさん・・だよ。少なくとも「仕官」ではないよ。
これは仕事の内容が似ているし、「仕官」ではないから「メイド」とたとえても問題ない、
ってことなんだろうか。
それなら「仕事の内容は今で言うメイドのようなものも含む」とだけ言えばいい。
服に言及することはない。理由は下記した。
>「女性も参加する社交の場」「女性だけの社交の場」と言うものは、基本的に有りません。
なら、宮廷で社交を兼ねていたと理解するよ。
西欧の舞踏会の位置に相当するものがなかった、のはよくわかる。
しかし広義の「社交」は宮廷でしていたと。
それなら、十二単はあの格好の動きづらさと言い、社交の面が強かったのでは?
本当に高貴な人が違う服を着ていたのは、単なる(貴族内の)身分による服装の違いとも言えるのでは。
それとも、十二単を着ていた人たちの正装ってのは、他にあったのだろうか?
「十二単を着ていた人たちの仕事はメイドっぽい仕事だった」と、
「十二単の服としての捉えられ方」では分けて考えるべきだと思うが。
本当にメイドのようなものだったら、一般の女使用人もメイド服であるところの「十二単」を
着ていると思う。
着ていなかったのなら、それは仕事の内容に服が関わっているというよりは、
「その身分の人たちの正装が十二単」であり、「その人たちの仕事がたまたまメイド的だった」でいい。
宮廷だから、礼儀だから、と言うのなら、宮廷で働いていたそれこそ下働きの人たちも
「十二単」を着ていたの?
213:天之御名無主
09/01/28 22:15:55
あれ、まだ続いてたのこの話題
ちなみに宮廷行事にダンスパーティは無かったけど
「踏歌節会(とうかのせちえ)」という多人数で足を踏み鳴らして調子をとりながら
歌を歌う催しはあったよ
男踏歌と女踏歌に分かれていて、もちろん女性も女房装束姿で
紫宸殿の南庭で歌い踊ったそうな
214:天之御名無主
09/01/29 12:49:02
>>212
>宮廷だから、礼儀だから、と言うのなら、宮廷で働いていたそれこそ下働きの人たちも
>「十二単」を着ていたの?
下働きは着ていません。十二単は女房の装束です。
また女房は、宮廷だけではなく一般の貴族の家にも雇われていました。
そこでも同じように十二単を着て「奉公」していたのです。
女房は経済的に苦しい貴族の家が給料のために働きに出ている図と言うことを
忘れてはいけません。お金で雇われている使用人の身分です。
つまり十二単は、貴族の娘が仕える為に着る。その場での
仕えている身分をあらわす装束だったのです。
その点からもメイド服(メイド用の制服仕様)であると例えられると思いますが。
また、社交は使用人としての身分ではしません。
215:天之御名無主
09/01/29 18:39:09
>>214
だから、身分としての服と、仕事とは分けて考えられないの?
他に正装がなかったなら、十二単が正装を兼ねてたんじゃないの?
少なくとも貴族用の服ではあったわけだよね。
あと、社交については>>213にあるけど、女房装束って言うのは十二単じゃないのか?
それなら十二単で社交しているね。それとも女房装束が別にあった?
216:天之御名無主
09/01/29 18:52:57
仕事の内容がメイド的であることと、お金で雇われているのはわかった。
が、それは十二単とはひとまず分けて考えた方がいいと思うけど。
他に正装(貴族の娘の立場として着る服)が別になければ、
「十二単は中級~下級貴族の娘の服」として扱って問題ないと思うよ。
メイド服と言うよりは階級面での服装の方だろう。
「十二単がメイド服である」と言い切りたいなら、
使用人としての身分以外で正式な場に行く時の服装が別にあるはず。
>>213の歌会に使用人としての身分で参加してないみたいだが、
付け焼刃ながらググったところ、「女房装束=十二単」であるとのことだ。
217:天之御名無主
09/01/29 19:58:04
>もちろん女性も女房装束姿で
十二単というのは、裳唐衣(もがらぎ あるいは五衣唐衣裳 いつつぎぬからぎぬも
または、女房装束 にょうぼうしょうぞく)と言います。
十二単と言う言葉は江戸時代から。現在でも皇室ではこの語は用いられていない
踏歌節会に女性が十二単を着て参加することは有ってもそれは舞子の装束であって
女房がその身分で出ることはない。だから女房の社交服ではない。
>貴族用の服
ではなく、もっと狭く女房の服。貴族の女性は袿か細長。
「十二単は中級~下級貴族の娘の服」として扱って問題ないと思うよ。
問題あり。基本的に雇われ身分、メイドになってない中・下級の貴族の娘は
十二単は着ません。
>正式な場に行く時の服装が別にあるはず
ありません。貴族の娘は、女房になるか天皇に見初められて
昇殿するかだけ。それ以外は屋敷から出なかった。
ただし旅装束というものはあった。
218:天之御名無主
09/01/29 20:04:40
何度も連カキコすまない。
自分なりにネットでちょっと調べてみた。
主に調べたのはwikiだから、信用できない情報かもしれない。
女房装束について調べていたら、釆女と言うのに出会った。
釆女とはなんぞ?と思ったら、wikiには以下のような記述が。
>采女(うねめ)とは、日本の朝廷において天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの雑事を専門に行う女官のこと。
>平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの役職となった。
>発祥ははっきりしないが、『日本書紀』によると既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>采女装束(うねめしょうぞく)とは、全国の豪族から選抜されて天皇の給仕係などとして〔略〕
>同じ宮中の女官といっても、基本的に頭脳労働中心の女房が身に着ける女房装束に比べて〔略〕
URLリンク(ja.wikipedia.org)
と、あった。
これを見ると、別に十二単を着ていた人たち(=女房)は、頭脳労働中心と書いてあるが、
どうなんだろうか?
そうなると、釆女装束はメイド服と言って過言ではなさそうだが、十二単は違うと言う話になる
219:天之御名無主
09/01/29 20:18:14
おっと、カキコしてる間にレスがあったな。
>踏歌節会に女性が十二単を着て参加することは有ってもそれは舞子の装束であって
>女房がその身分で出ることはない。だから女房の社交服ではない。
女房がその身分で出ていないにも関わらず、なぜ十二単を着ていたのか?
その時女房として参加していないのなら、別の服を着ているはず。
それこそ「桂か細長」でいい。
目上の人がいたから、女房装束で出たのだろうか?
だとしても、その服で社交を兼ねている以上、女房装束には社交服の一面があったと言える。
>貴族の女性は袿か細長。
>問題あり。基本的に雇われ身分、メイドになってない中・下級の貴族の娘は
>十二単は着ません。
それでは、十二単は出仕(まあ正確には違うのかもしれないが)用の服であった、と。
まあ>>218に書いたように、釆女と言うのも別にいたようだね。
貴族の女性は出仕以外外に出なかったのなら、基本的に宮中で「桂、細長」姿だったのは、
皇后、天皇の娘辺りだったということになる。
ということは、給仕は釆女がやっていたと言ってもよさそうだ。
また、釆女は貴族ではなく、豪族の娘がやっていたようだ。
220:天之御名無主
09/01/29 21:54:10
>>219
>その服で社交を兼ねている以上、女房装束には社交服の一面があったと言える。
いえません。社交のために出ているのではありませんから。
なお何度も出てくる「社交」ですが一般に平安貴族女性は
身分に関わらず西欧貴族のやっているような趣旨の「社交」はしません。
もちろん、各個別の交流はありましたが、パーティ的な位置付けの
「社交の場」はありません。よって、それようの服もありません。
らしいことをやっているのは、コミックや近代小説だけとおもってもらって構いません。
例に出た踏歌節会も一年の内一日だけです。100歩譲りその日は社交の服の役割としても
後の364日はメイド服です。
>給仕は釆女がやっていたと言ってもよさそうだ
・・・もやっていたでしょうが、女房もやっていました。
釆女は主に豪族が逆らわないようにという
天皇への人質ですから宮中のへ奉公が主。
女房はそうではありませんから、前に言ったように貴族の屋敷に
勤めることもありました。そこには通常、釆女はいません。
ですから女房が酒宴の給仕をすることが主です。
221:天之御名無主
09/01/30 04:49:53
>>220
確か、一般的なたとえの話をしてるんだったよね
その意味では一般的にイメージする「社交=貴族同士の交流」があればいいわけで、
西欧貴族の社交そのものである必要はないです
よって、パーティーである必要もない。俺は「広義での社交」とどっかのレスに書いた
一般的なたとえの話じゃないんだったら、メイド服も無理だよ。メイドそのものじゃないんだから。
俺はそのメイド服ってたとえが無茶じゃないか、と言っているわけだから、それならそれでいいんだが。
それと、どうして女房装束で歌会に出ているのか、答えを聞いてないよ
どうして出ていたのか?
あなたの言うとおりならば、女房の立場では出ない上に、十二単はメイド(女房)専用用途なわけだから。
また、その歌会が一年に一度しかなく、しかも他の行事がまったくなかったとしても、
上の方に書いた一般的な社交の意味で、年中宮廷で社交を兼ねていたわけだから、
社交服の一面もあった、でいいと思う。働くこと専用だったらさすがにもっと簡素な服でおかしくない。
それから、彼女たちの身分が宮廷に出る時に身につけていたが、
それと仕事の内容は別であるかもしれない、と言うことについてはどう考えていますか?
たとえば、女房の仕事には家庭教師やらもあったようです(wikiより)。
もちろん給仕もしていたかもしれません。
なら、メイド的な意味あいの服と言うより、単に彼女たちが宮廷に出る時に着る服、
とした方がすっきりします。
わかりづらいかもしれませんが、以下のような意味です。
「女房の中にもいろんな仕事をする人がいただろうと思います。
>・・・もやっていたでしょうが、女房もやっていました(以下略)。
レスの根拠をURLでお願いします(↑の文から始まる一センテンスすべてについて、です)。
ウィキでは女房は頭脳労働中心、ようするに秘書的役割が大きいと述べています。
まあ確かに給仕をすることもあったかもしれませんが、それだけではないということはあるでしょう。
それに反証するなら、URLをお願いします。
222:天之御名無主
09/01/30 04:59:01
失礼、一度削った文を削除したまま投稿した。
>>221の
>「女房の中にもいろんな仕事をする人がいただろうと思います。
以下の文は、こう続きます。
「女房の中にもいろんな仕事をする人がいただろうと思います。
家庭教師であるとか、主におしゃべりして主人を楽しませる人だとかがいたとします。
メイド的な役割の人も、いたでしょう。
(個人的にはメイドとは違うと思いますが、「一般的な意味で」とします)
それらの人たちが全員同じ服を着ていたのは、要するにその階級の人たちの出仕用の
服が十二単だというだけであり、メイドというのは仕事の一面に過ぎないのでは?」
ようするに、後世の人が、現在の我々の生活を調べたとします。
学生服について調べました。すると、当時の学生が放送部をしていたとわかった。
そこで、「学生服は放送部用の服である」と結論するのはおかしいですよね。
言っていることが極端だと思いますが、たとえです。
俺がなにを訊いているのか、わかりづらいと思ったのでめちゃくちゃなたとえを持ち出しましたが、
これで理解してもらえると思います。
つまり、「仕事にメイド的なものがあったかもしれないが、そこのみで捉えるのはどうか?」
と、言いたいのだと思ってください。
223:天之御名無主
09/01/30 05:25:33
最後に、これからしばらく家を離れなければならず、
ネット環境もままならない場所に行くので、しばらくレスできないかと思います。
論旨には対立があったけども、相手してくれてありがとう。
帰って来てレスがあり、俺がレスできるようなら、また書き込みます。
224:天之御名無主
09/01/30 14:42:39
>その意味では一般的にイメージする「社交=貴族同士の交流」があればいいわけで、
>西欧貴族の社交そのものである必要はないです
では、社交はありました。女房同士で碁を打ったり歌を交わしたりはしました。
その時に来ていたものは、十二重ですから、十二単は{社交服}かも知れません。しかし・・
>踏歌節会
私も学生服の例を考えていました。今は皆無と言ってもいいですが以前は結婚式や葬式など
中高生などが参加するとき学生服で参加している例が多々ありました。これは失礼でもなく
普通に社会的にも認められていました。買い物に出かけるときも学生服であったときもありました。
しかし、学生服は学生服であり、礼服でも喪服でもないのではありませんか?
それと同様に学生服で社交パーティに出てもそれは学服であり
社交服ではないのではないでしょうか。私はその意味で説明をしてきました。
踏歌節会は私の例えに言う結婚式などに比べ、
はるかに頻度は高いですが、その学生服のような
良く似た用法ではなかったのでしょうか。
さらに、十二重は季節により重ねの色目を変えることが基本でしたが、通年使用可能の
色合わせもありました。社交服というどちらかと言えば、おしゃれを競う性質が強い服なら、
そのようなものは存在しません。メイド的使用人の女房の制服形の服ゆえ
義務的に着なくてはならないものだからこそ、その性質が主だった使用法なればこそ
通年使用などという用途が出てきたのです。
225:天之御名無主
09/01/30 14:43:29
十二単に対する誤解がどこから生まれてきたのかは判りませんが、
皇室使用においても皇后等が十二単を着て映っている写真があります。
あれも最高位の女性たる皇后が着る用法では本来無いのです。
平安時代のことを良く知っている皇室その回りが、何故本来と違う
服の用法をするのか、どなたかご存知の方がおられれば、教えていただきたいです。
また京都の祭りの斎宮や斎王代などにも着せますが、本来であれば、
おかしいのではないかと思えます。宗教や祭りの詳細は知りませんが
神に仕えるべくしての最高の女性が十二単で、その御付役の女性が
袿姿や小袖では、実際に使われてた時代の使用法から見れば
本末転倒のようにしか見えません。
もっとも良く見る例は、雛人形です。内裏様の嫁たるお后役の人形が
十二単で喪までつけて座っているなんて、平安時代ではありえません。
ありえませんが、そういう本来の用法で無いものが正しいことのように
伝わってしまっているからこそ、たとえば十二単はメイド服であると言う例えに
違和感を強く感じるのではないでしょうか。
メイド服という例えは、正しくないのかもしれません。しかし当たらずとも遠からずなのです。
本来の使用用途が周知されていれば、「その場にいる低いの身分の貴族女性側の
着るもの、使用人のものだ」と広く知られていれば、また反応も違っていたのではないでしょうか。
そう思えてきます。
226:天之御名無主
09/01/30 20:10:50
えーと、とりあえずお前らは
「物具(もののぐ)装束」でぐぐりなさい
あと簡単だからってネット資料だけじゃなく
服飾系の文化歴史学の本もちゃんと読みなさい
高田 倭男 『服装の歴史』とか近藤 好和 『装束の日本史』あたりはお勧め
227:天之御名無主
09/01/30 22:39:00
なんかメイド服メイド服うるさい人はあれよね
「十二単=メイド服」なんて上手い事言ってやった俺スゲー!
って思ってたら他のスレ住人にお前バカじゃねーのとか言われて
引っ込みがつかなくなっちゃってんじゃないの
228:天之御名無主
09/01/31 12:36:54
>>227
煽り 乙
229:天之御名無主
09/01/31 12:50:34
>>226
でも、「女性が公儀の場に場に出ることを嫌い
自体に廃れた」らしいが。>物具装束
で、物具装束が上の人の言う「社交服」だと?
私は違うと思いますけどね。社交に使う服ではないでしょ、あれ。
で例により物具装束でぐぐっても十二単が「最高の装束」とか
正装とか言ってるの多いねえ。まあそれは正解かもしれないが。
たとえ服として最高でも、身分立場として最高の人が着るものではないと言う
事がわからないよね、あれでは。
ご紹介の本では「使用人の身分が着る服」だとちゃんと説明されているのですか。
230:天之御名無主
09/01/31 13:14:13
違うと思いますけどね。
で片付けないで、根拠となる本とか、せめてネットのアドレスとか併記した方がいい。
ネットは信憑性において本よりも落ちるけど。
思うだけなら、根拠などなくてもできるからね。
学問板だし、ちゃんとしておこう。全般的に根拠が示されておらず、説得力に乏しく見えるぞ。
メイドだと主張している人は、一度も根拠を具体的に示していないね。
ちなみに、私も不勉強ながらネットでしか調べる手段が今ないので、
どっちが正しかろうと、詳しく知ることができれば大歓迎だよ。
231:天之御名無主
09/02/01 15:43:41
「らしい」とか「思う」とか「ネットで見ました」程度で断言するなよ
学問板なんだから
232:天之御名無主
09/02/01 23:09:25
>>229
どちらの本も読んでいないのが丸バレですね
『服装の歴史』138頁では
「女房装束は公家女子の正装である。(中略)中宮以下女房たちが後宮という天皇の私生活の場にあって
着用する衣服であるため公服にして私服的性格を帯びたものといえる(後略)」
『装束の日本史』194頁では
「皇后を含めてこうした女房達に着用されたのが女房装束であった」
とあります。
「使用人の身分が着る服」だなどと何ページの何行目に書いてあったのか抜き出せますか?
233:天之御名無主
09/02/01 23:39:47
>>229ではないが、「ちゃんと説明されているのですが」ではなく「いるのですか」
になってるから、そこはいいんじゃないかな
ネットで得た知識(なんだよな?)をもって、出版されている本に
「いるのですか」はないと思うけど
234:天之御名無主
09/02/02 02:32:16
そもそもメイド君の主張は前提条件からして間違ってるだろう
女房装束(この表記が勘違いの元っぽいが)は公家の女子にとっての正装なんだから
低位の公家の女子が女房として裕福な貴族の屋敷に仕える時は裳唐衣を着けて正装する
自分の屋敷では重ね袿姿でラフに過ごしてる女主人だって後宮の女御なんかに仕える時は裳唐衣を着けて正装する
自分の局では重ね袿姿でラフに過ごしてる女御や中宮だって帝の前では裳唐衣を着けて正装する
例は少ないが女帝とて宮中の公の場に出るときは裳唐衣を着けて正装する
お雛様が裳唐衣を着けてたって何もおかしくありません
十二単を着るような女性はどんなに下臈でも貧乏でも身分的には貴族だし
本当に下働きとしか言えない身分の女は単どころか小袖を着るのがせいぜいってところ
235:天之御名無主
09/02/03 20:44:28
>>234
明戸君(?)です。
十二単を着ている人を下賎の民的な説明はしたことはありません。
WEBの知識でも貴族の娘だと言うこと位は判ります。
「その場にいる一番下の身分、立場の者(女性)が着るもの」だという
ことを言っているだけです。いちいちコピペせず、つっこみどころ満載の
いき辺りばったりな思い出し書きなので単語や言い回しが、
そのレスによって微妙に違うことはあります。
他の当該書き込みは、それを補足したり例えを使ったりした
ものであり、丸々受け取ってもらっても困ります。
使用人という言葉も比ゆであり例えです。
使用人のキャラクター、ペルソナ、役割・・・・等などの人の正装と言うことです。
女房と言うのはそう言うことでしょう。そして十二単は女房装束なのですから。
お雛様飾りは自分の城か屋敷内の模式ですから、あの姿はおかしいですよ。
家来だけならまだしも、家具が有るのは家内だという記号です。
236:天之御名無主
09/02/03 21:35:18
>>234の人じゃないけど、十二単は女帝でもつけた記録があるようだから、
本当に単なる正装なんじゃないかな
女帝がその場にいる一番下の身分ってことはないと思うし
家具は、結婚式の象徴じゃないかなあ(嫁入り道具)
要するに、お雛様は結婚式をかたどったもので、正式の場でのことになる
その辺詳しく知らないから、適当に言ってるだけで的外れだったらごめんだけども
詳しい人のレス求む
237:天之御名無主
09/02/03 23:55:48
>お雛飾り
足元は緋の毛氈で背後に金屏風があるもん
そりゃ結婚式とか晴れの場でしょ
牛車や沓持ちの家来、武装した衛士、家具とどう見ても嫁入り行列です
238:天之御名無主
09/02/04 00:03:57
仮にそこが屋内だとしても、隣にお内裏様すなわち束帯をバッチリ着込んだ帝が座ってる状況で
后が重ね袿でくつろいでたらそれこそおかしいんじゃないかと思います。
239:天之御名無主
09/02/04 05:39:19
そういえば、平安時代とその前は、沓を履いてたんだよね
いつごろから沓を履かなくなったんだろう
240:天之御名無主
09/02/04 21:18:43
沓を履いていた貴族階級に替わって武士が台頭して、
乱れ緒(草鞋)、緒太(草履)を履く層が主流になったからじゃないかな
241:天之御名無主
09/02/04 22:09:18
>>223だけど
女房装束(十二単)は、貴族女子の正装、でいいのかな。
・>>232の文章にあるように、皇后や公家女子の正装として使用されていた事。
・宮中は私生活かつ、仕事の場であり、なおかつ『宮中』と言う公的な場でもあった事。
・よって、ラフな服装(桂など)でくつろいでいる時と、正装をしている時があった。
正装をしている時は、仕事中か、公的な場など。
>>226の方、不勉強で申し訳ない。学問板にも関わらず、ネットでしか調べる手段を
持っていなかったので、本の紹介はありがたい。
どちらも入手しやすそうなので、本屋で注文してみようと思う。
メイド服については、確か「仕事がメイドそのものである」事、
「お金をもらって使えている使用人の身分の人が着るものである」事を根拠に、
メイド服であるという主張だったはず。
「仕事がメイドそのものである」事については、ソース求む。ネットでもいい。
ちなみにwikiには「頭脳労働中心」とある。
「お金をもらって~」は、別にそうでもない人達も正装では女房装束を着用していたらしいので、
これはもう違うと言って差し支えないと思う。
そうでないなら、明確なソースを提示して欲しい。
242:天之御名無主
09/02/05 00:25:38
ちうか、メイド服だって言ってる人は「女房」をひとくくりのカタマリとして捉えてて
その中に上臈・中臈・下臈の区別があることは知らないのか意図的にスルーしてるかで触れないのね
243:天之御名無主
09/02/08 03:21:19
「女房装束」って言うから誤解の元になるんだよ
ほかの女性用装束と同じで一番上に着てるものから取って「裳唐衣装束」の呼び名を一般的にしようぜ
244:天之御名無主
09/02/08 08:31:40
メイド君はそれ以前の問題じゃ。
245:天之御名無主
09/02/08 09:27:59
メイドくん来ないね
246:天之御名無主
09/02/08 13:09:43
わざわざ上げなくてもいいんじゃね
247:天之御名無主
09/02/08 17:13:00
はいはい
248:天之御名無主
09/02/08 17:32:23
そういうこと言うとあげたくなっちゃう!
249:天之御名無主
09/02/12 20:35:09
しかし、「現代で業者の売ってる有職装束が高すぎる」ってだけの
どーでもいい話題でよくもここまでダラダラ引っ張ったな
250:天之御名無主
09/02/13 02:11:38
そもそもここまでのレスの流れを見てると
このスレ民神板よりも日本史板の管轄なんじゃね?
みたいな気がしなくもない
251:天之御名無主
09/02/14 02:03:56
女狩衣(昭和の時代に生まれた女性神職の衣装)を
普段着のように着こなしてるとある神社の娘さんが
「胸を締め付ける今の和服は嫌い」
「あんな無茶苦茶窮屈なものは、明治になってから生まれたらしいのね」
「平安装束は袴やプリーツスカートだから、立膝も出来るでしょ」
「今の一般的な和服では、立膝で座るなんて、絶対考えられないでしょう」
「どうして、こんな着心地のいいものが、退化して駄目になっちゃったのかな」
と疑問を呈しておられました。
理由が分る方はがおられれば、よろしく。
252:天之御名無主
09/02/14 17:15:54
平安時代って言うか服飾史だな。
平安中期ごろに下着として小袖と袴を着た上から単や袿を着る習慣が貴族女性の間に定着したが
(前期の頃は小袖が無くてマッパの上にいきなり袴だった)
平安後期、鎌倉あたりになると貴族は貧乏になって重ね着の枚数が減り、
代わりに台頭した武家の女性は最初のうちこそ貴族を真似て小袖に袴姿だったが
次第に袴に替えて湯巻(腰から下に巻きつける巻きスカート状のもの)を簡便に着るのが普通になる。
その辺で女性の袴着装の習慣が消滅し、室町以降は袴を穿かない所謂「着流し」が当たり前に。
小袖は下着からアウターに昇格、貴族を真似て重ね着をする際も上半身にだけ小袖を何枚も着て
一番上にとりわけ豪華な打掛を着る様式に変化。
(なお庶民の女性は平安ごろから既に小袖の着流しスタイルが普通)
室町期以降は小袖の華美化、振袖化が進み、それまでは少し幅広の布で結んであるだけだった帯も
江戸中期に入る頃からどんどん厚く幅広くなって後期にはもう時代劇で見るような着物姿が定着している。
つか、平安時代の貴族女性は家の中で座ってるか膝でずりずりいざってるかだから
あんな長袴で生活してられたけど、機動性という意味ではどうかと思うなあ…
女でも動きやすい行灯袴とか穿けるようになったのはむしろ明治以降のような気が。
253:天之御名無主
09/02/15 04:33:16
そりゃ狩衣はスポーツウェアだから動きやすかろうが
フル装備で20㎏ぐらいある女装束を着て着心地いいとか言えたらむしろ尊敬するわ
254:天之御名無主
09/02/15 17:07:18
>252
丁寧なレスありがとうございます。
江戸時代の着物は、あまり胸を締め付ける物ではなかったとか。
明治に入って、どうして窮屈なものに変ったか判りませんか?
255:天之御名無主
09/02/15 17:15:47
>253
女狩衣に一枚歯の高下駄を履いて、
大股で山中を闊歩する巫女さんは見ものです。
アルバイトの巫女とは衣装が違うから、
巫女萌え系の写真小僧に目を付けられて
追い回されることはないらしい。
20キロか。蒸れそうだな。
256:天之御名無主
09/02/16 02:27:51
そりゃ、文明開化以降は食生活や運動量が変化して
女の胸がでかくなったから「和服は苦しい」ってなったんじゃないの?
昔のずん胴ない乳な日本人にはジャストフィットだったんだよ
257:天之御名無主
09/02/17 05:05:10
すれ違い気味ですが…
>>254
帯等のパーツの変化というより、着付けの変化ではないかと。
江戸時代より帯の位置が高くなっているそうですので。
URLリンク(www.kimono-yogo.com)
♯ 下三分の一くらいから明治以降の話になります
以下のページでは、位置の変化は(主に)下履きをつけるようになったため、
という説明をしています。
URLリンク(oshiete1.goo.ne.jp)
URLリンク(kazesaburou.at.webry.info)
逆にパーツは、衣服改良運動の影響で、名古屋帯・女袴・割烹着など
活動的になるように改善されているようです。
URLリンク(www.kimonophilic.com)
URLリンク(www2.hannan-u.ac.jp)
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
信頼性にかけるページもありますので、
記述の内容は書籍等で確認されることをお勧めします。
258:天之御名無主
09/03/24 21:31:10
そろそろ十二単の話も終わったようなので、前から気になってた事を。
よく平安時代の話で「物忌みだから外出しない」的な記述がありますが、
「物忌み」というのは人によってたとえば何月何日だとか決まった干支の日だとか
それぞれ決まった日時があったんでしょうか。
厳密に日が決まっていなくて、その日の体調だとか、急に陰陽師に何か言われたとかで
「今日は物忌みにします」とかやってたら、政務や作業に支障が出そうな気もしますが
実際のところ、どれくらい融通が効いたものなんでしょうか。
259:天之御名無主
09/03/27 09:29:15
出発する方角を変えて出かければおk
260:天之御名無主
09/04/01 00:56:31
それは方違えではないのか
261:天之御名無主
09/06/28 13:05:32
平安時代の女性ってトイレをどのようにしていたのですか?
十二単なんかいちいち脱ぐの大変ですよね?
かといって捲り上げるにしちゃ布の量がとんでもないですよね。
ということはトイレをするたびにすっぽんぽんですか!?(どきどき・・)
262:天之御名無主
09/06/28 13:08:24
あと、平安時代の小説を書いてるんですが、現代の日本人にとって魅力的な女性となると、
身分などの設定はどれくらいが好ましいでしょうか?
公家より案外平民の方が良かったりしますか?
263:天之御名無主
09/06/28 13:52:34
>>261
十二単は、脱皮するみたいに脱げるんだよ。
それでもう少し身軽な格好で厠へ行く。
厠は専用の使用人がいて、お姫様なら自分で拭かない。
つーか、そもそもトイレに行くと言わない。言えない。はしたないから。
側付きが、そろそろかなって察して連れて行ったりする。
余談だけど、十二単時代から後期、打ち掛けの場合は、まんま引きずっていく。
専用裾持ちが二三人付いていく他、拭き役専用、監察役だったかな。
ここらは江戸後期で天璋院篤姫の小説なんかに描写あるよ。
もう少し最近なら、九条家の姫とかのも何かレポっぽいので見たな。
264:天之御名無主
09/06/29 10:36:29
>>251
平安装束ではないが女性神主の装束はすごく魅力的だな。
常装
URLリンク(blog.magazineworld.jp)
URLリンク(space.geocities.jp)
正装
URLリンク(hamasanguu.up.seesaa.net)
URLリンク(hamasanguu.up.seesaa.net)
265:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
09/06/29 17:07:49
>>262
厠については、増田繁夫先生の『源氏物語と貴族社会』をお読み下さい。
紙の使用は、平安後期には確認出来ます。古くは木のへらが使われました。
>厠は専用の使用人がいて、お姫様なら自分で拭かない。
>つーか、そもそもトイレに行くと言わない。言えない。はしたないから。
>側付きが、そろそろかなって察して連れて行ったりする。
この点は初耳ですので、私も出典を知りたいところですが。
身分については、あくまでも中流出身の女性からの視点ですが、『源氏物語』の
序盤にあたる「箒木」の巻の内容が、参考になるでしょう。
全くの平民ということは、なかなかなさそうです。最低でも郡司クラス。
平安後期以降は遊女が寵愛を受けたこともありましたし、雑仕女常盤という
のも出て来ましたが。
寺院の建立縁起で、狩りの最中に立ち寄った家の娘と関係を結んだ話があっ
たと思いますが、これも郡司クラスの娘だったと思います。
着物が脱皮するように逃げている絵は、中世の天神縁起に出て来ます。
世尊寺の阿闍梨を中傷した女房の段ですが。日本絵巻大成か全集参照。
266:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
09/06/29 17:08:37
×逃げている
○脱げている
失敬
267:天之御名無主
09/06/29 22:45:09
女の人は漆塗りの箱に大小排泄して使用人に捨ててきてもらうそうですが
そういうのはやはり一定クラス以上の裕福な貴族限定なんでしょうか
268:天之御名無主
09/06/30 01:29:34
それって芥川?最後うんこ食べちゃうやつwww
作品名忘れたけど強烈な話だったw
269:天之御名無主
09/06/30 07:57:19
あれは古典で元ネタがあるだろう
美女のうんこを見れば流石に幻滅できる! と思ってうんこ箱を覗いてみたら
甘かずらかなんかで作ったいい匂いのする偽うんこが入れてあったって言う
270:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte
09/07/06 18:00:42
『平中物語』です。『今昔物語集』にもありますが。
271:天之御名無主
09/07/13 00:06:50
>>261
他スレより。
289 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 10:45:11
>>285
貴人は蒸し風呂に入って体を拭いた。
庶民のほうが川で水浴びで頻繁に入っていたかも。
平安時代の貴族は箱や壺に用を足した。
平安時代に行われた貴族同士の大宴会では、屏風の陰に壺が並べて置かれ、
身分によって用を足す壺が違っていたらしい。
思い通りにならない恋に苦しんだ男が
恋する女の用を足した箱を侍女から奪うという話もある。
用を足す容器のことを樋箱といい、
樋すましと呼ばれる女性がこの容器に入った汚物を所定の場所へ捨てに行き、
洗う役目を担っていた。
【飛鳥から】大和朝廷の豪族たち【平安初期】
スレリンク(history板:285-289番)
272:261
09/07/20 00:12:26
遅れましたがありがとうございます!
やはり平安時代ではまだまだおまるが基本なんですね~
でも別に幻滅するような話でもないですね
ちゃんと捨てに行ってたんだから最近までのぼっとん便所とぜんぜん変わらない
それどころかおまるのほうが気品があるかも
屏風の陰でってのはちょっとあれですが・・
273:天之御名無主
09/07/20 00:29:02
ま、捨てに行く係の身分に生まれてたら…と考えればガッカリな風習ではあろうな
274:天之御名無主
09/10/12 09:49:48
ふんどしを穿いていたのは
貴族だけなんですか?
農民は下着はつけていたのですか?
一般女性はつけていたのでしょうか?
275:天之御名無主
09/10/12 12:05:52
貴族は表袴や指貫の下には「大口袴」「下袴(したのはかま)」というものを直穿き
(時代が下ると小袖の上から穿く)しており、
庶民でも袴を穿くものは下袴や半袴(膝上のパンツみたいな袴)を肌着としていたようです。
ふんどしの原型である「犢鼻褌(たふさぎ)」を穿いているのは袴も穿かない下層民や
労働階級が多かったのではないでしょうか。
女性は貴族ならやはり袴(長袴)です。
女性が緋袴を穿くのは体を冷やさないように、というほかに経血が目立ちにくいようにという
理由もありました。
身分の低い女性や、もう少し時代が下って袴を穿かなくなった武家・宮中の女性は
「湯巻(ゆまき)」という巻きスカート様の腰巻きを着けました。
276:天之御名無主
09/10/12 12:20:34
>>275
ってことは、身分の低い女性は、湯巻の下には
何もつけていなかったってことですか?
277:天之御名無主
09/10/12 12:23:12
下着って言うのは一番下に着るから下着というのであって
278:天之御名無主
09/10/12 12:37:59
>>276
まあトップスという意味では小袖(肌小袖)の裾くらいは入ってたんじゃないでしょうか?
ボトムという意味ではそれ以上は無いはずです。
279:天之御名無主
09/10/18 03:26:03
>>271
昔の貴族はおまるだったみたいだが、庶民はどうだったんだろう。
おまるを洗うのって、真冬は大変だったろうな。
庶民は、室温の上下動を低くして、冬暖かく夏涼しくすごすために、平安時代はまだ竪穴式住居だよね。
大陸のアムール川流域の少数民族の竪穴式住居では、
家の真ん中に小便をする容器が置いてあって、そこに溜まったもので手を洗ったりする習慣があって、
不潔すぎるって指摘された記録が残っているが、誤解した話が伝わっているような気がしてならない。
アイヌのチセって家の図はいろいろ見たが、トイレは屋外だったのか、書いたものが多くない。
ある古い神道の家では、トイレは大昔から特殊な加工を施したオガクズが入った容器だったらしい。
いわゆる醗酵方式と言われているもので、現代の家庭用生ゴミ処理機と原理は同じ。
ここのサイトでは、バイオトイレという名で紹介されている。
URLリンク(www.seiwa-denko.co.jp)
ここのサイトでは、コンポストトイレという名で紹介されている。
URLリンク(takthefool.cocolog-nifty.com)
使用したらかき混ぜて保温しておくだけ。
乳酸菌などの善玉菌の醗酵をするから、悪玉菌の醗酵のように悪臭がまったく漂わないらしい。
オガクズと混ぜられた便は、4時間ほどで、二酸化炭素と水蒸気と米粒大のミネラルに変わって消滅する。
醗酵温度は最高で80度にも達するため、たとえ伝染病のもとになるような悪い菌がいたとしても、
死滅して、汲み取り式のトイレよりもはるかに清潔らしい。
巫女さんの話では、醍醐と呼ばれるもの(ただし主原料は牛の乳ではなく大豆)を食べているから、
一般の現代人のように臭くなく、赤ん坊の便のような乳酸菌醗酵した臭いなので、
狭い閉ざされた部屋の中で使っても、香を漂わせておけばまったく気付かないレベルらしい。
椅子型トイレと言われても、るまでその部屋に座敷トイレがあると分からなかった。
管理は、半年に一回ぐらいオガクズを入れ替えれば、堆肥として使えるらしい。
醗酵式トイレは、牛や馬を飼ってる小屋の敷き材式トイレとしても使われていて、小屋が臭くないらしいが、
なぜ醗酵式が昔から知られているのに普及しなかったのか不思議でならない。
280:天之御名無主
09/10/18 04:30:09
で、問題のアムール川流域の少数民族の竪穴式住居の中央にあった尿を入れておく容器だが、
コンポストトイレの紹介サイトにも書かれているように、水と竹炭などを入れた容器に溜めておくと、
たいして臭わない状態で部屋の中に数日は置いておけるらしい。
漢民族はそういったノウハウを知らないで、堆肥を作るのは汲み取り式便所って発想があるから、
不潔極まりないって、とんでもない誤解が広まったのではないかと思えてくる。
とある古い神道の家では、部屋の中に、
銀のうえに現代風の透明な七宝焼きが施された壷があって、
中は練炭のような黒いものが詰まっていて、電気コードが一本差し込まれていた。
散逸構造生成という技術で作られた高機能性新素材を使っているからまったく臭わないらしく、
説明を受けても、トイレには見えなかった。
「趣味で七宝焼きの壷を作ってますが、海外のデパートで7万円ぐらいで売ってもらったことがあります。
この気化式トイレを改良して、体に装着して携帯出来るようにしたのがこれです」
と説明を受けて、普通の部屋で女狩衣と呼ばれる平安装束の袴やトランクス? を脱いで見せてもらったが、
リボンやフリルが付いた、Iバックの形をした水着をつけているようにしか見えなかった。
「これを装着したまま、乗馬やフィギュアスケートをしても平気なんですよ」
昭和の時代にアレンジされた平安装束の下に、そんな凄いハイテクが隠されていたとは、
にわかには信じられなかった。
気化させているのに臭いがしない理由がかいもく分からないのだが、
バイオテクノロジーとは無縁の、普通の人がやっているコンポストトイレの紹介サイトでも、
それらしいことが書いてあるし、
現代のハイテクではなく、竪穴式住居時代から臭わないようにする方法があったのなら、
凄いと思うし、普及してなかった筈がないような気がしてきた。
281:天之御名無主
09/10/18 04:34:31
「人工肛門を使っている患者さん用に、便を醗酵させて高速分解する携帯型のバイオトイレも開発中ですが、
さらに一歩進めて、腸内に内蔵できる寄生虫型のトイレを研究中です。
うちで飼っているグリーンイグアナにも内蔵しています。
変温動物ですが、分解時の発熱で腸から体が温まるので、
日向ぼっこをあまりしなくても、真冬でも凍死せずに平気で屋外を動き回ってますね」
神社の境内を体長1.8メートルのオスのグリーンイグアナが、歩いているのを見たことがあったが、
まさかそんなハイテクが不可能を可能にしていたとは。
「醗酵によって80度まで発熱してしまう暴走の危険さえ解決できれば、市販できるんですけどね。
腸内内蔵型トイレから電力を取り出して携帯機器を動かすことも出来るし、便利なんですよ」
袴の脇からコードを出して携帯電話やデジカメに充電したり、
ノートパソコンをストラップで吊るして、立ったまま使用してるのを何度か見たことがあったが、
まさか、そんな場所と繋がっているコードだとは知らなかった。
あの人達と一緒に行動しているときに、公衆トイレなどに行ったのを見たことがないので、
なんとなく不思議に思っていたのだが、説明を受けて理由が分かった。
「NASAの宇宙服って、今でもオムツみたいだから、採用してもらいたいんですよね。
でも、食事に気をつけないと、発酵しなくなったり、暴走するんです。
現代人は防腐剤などの入った食べ物を食べちゃうから駄目なんですよ」
神の依り代として清い状態を保つ必要があるため、農薬や防腐剤などで汚染されたものを一切口に出来ないと言って、
外食を全て断っていたが、本当の理由はこっちだったかと気付いた。
現代の平安装束では、バイオトイレが携帯出来るようになっていることは分かったが、
昔の庶民はどうやっていたのか、知りたくなってきた。
農業をやらない、堆肥作りの必要がないアイヌのチセは、発酵式トイレになっていなかっただろうか。
話を聞いているうちに、もしも平安貴族が使ったというおまるから、竹炭やオガクズが出てきたとしたら、
コンポスト方式だった可能性も出てくるのではないかと、ふと思ったのだが真相はどうだろう?
282:天之御名無主
09/10/18 22:07:44
おまるって言っても漆塗りの箱だったみたいだけど
『今昔物語集』の「平定文仮借本院侍従語第一」では
平定文が恋する侍従の君に幻滅するために彼女の樋澄まし童から糞便用の箱を奪い取って
中身を嗅いだり舐めたりした(なお中身は野老と甘蔓の汁と香を練り合わせた偽物)話があるが
底に水気が溜まっていた(そしてそれを啜った)という描写があるので
砂やおがくずなどは入ってないものと思われる
283:天之御名無主
09/10/20 15:29:02
>282
それってお料理の話だよね? 鰹節は入ってなかったのかな?
モテない男を笑い者にすることを狙った、ジョークの作り話のようだから、
判断材料にしていいか、疑問があるかも。
おがくずの中に便を入れると、普通の家庭用生ゴミ処理機で残飯を処理するよりも
はるかに速い速度で分解して消滅するのは、便は半ば分解された発酵が進んだ状態だからのようです。
便の臭いが室内に広がらないようにすることを目的に、おがくずを上からかけておく程度の工夫は、
ちょっとしたことで思いつきそうだ。
現に、ある神道の家では、いつ頃からかははっきりしないものの、行っていたようだし。
味噌も糞も一緒、という表現があるけど、
乳酸菌発酵が進んだ状態だと、
事情を知らない人が、漆塗りの箱に入って部屋に置かれているものを、
誤食することがないわけではなさそうだ。
十二単のような身動きが取れない服を着て、トイレにもなかなか移動できないから、
おまるを使うしかなかったとは、不便だな。
284:天之御名無主
09/10/20 21:02:02
>>283
お前のギャグってつまらないな
285:天之御名無主
09/10/20 22:01:37
>>283
文献資料よりもバイオトイレのお話を続けたいのでしたらしかるべき板とスレへ行かれる事をお勧めします。
まあ、そういった所には専門の方が既に大勢いらっしゃるでしょうが。
286:天之御名無主
09/10/20 22:58:09
>>283
平定文は「今昔物語集」以外にも「十訓抄」「宇治拾遺物語」「平中物語」
などに名の残っている実在の人物で、色好みのプレイボーイとして有名
自分の唱える説を推したいからといって、
提示されたソースも読まずにいい加減なイメージで一蹴するのは
学問系の板における姿勢としてはいかがなものかと
287:天之御名無主
09/10/21 01:43:27
ところで、前からここや民族衣装スレで女神職さんと知り合いだと主張してる人がいるけど、
全国でそう大勢いるわけでもなく比較的特定の容易なそういう人について
こう言ってたとか何してるとか、academy鯖とはいえ2ちゃんに書き込むのって迷惑にならないの?
私だったら即、縁切りたくなるレベルなんだけど
288:天之御名無主
09/10/21 10:41:48
エッチなプレイボーイとして有名だった男性を、ネタとして扱った悪口の猥談が、
アカデミックな資料になりうると主張しても、無理があると思うぞ。
悪口に聞こえる噂の類が、嘘か本当か証明できるものが他にあるのか?
自分の唱える説を推したいからといって
スカトロ系の悪口を真に受けるのに、抵抗を感じるている人を非難するとはどうかと思うぞ。
疑問符が付いて質問形になっているのは、ソースとなる文献を読んでないからではなく、
話があまりにも怪しすぎる内容だからだろう。
そのあたりを理解できずに、しっかり誤読したうえで、
「学問の姿勢」うんぬんに言及して食ってかかるのは、尋常じゃないと感じる。
この言い争いを、どう受け取るかは、個々人の自由だが、
猥談系の嘘の悪口を信じることが学問です、
私の言うことを信じない人は学問に対する姿勢がおかしい人物ときめつけて、
他人を非難する暴論を振り回す愚者が荒らしている、と確信する人々が大半だと思うぞ。
289:天之御名無主
09/10/21 10:47:45
そもそもおかしいのは、
料理を食べたときに、中に砂が入っている描写などがないから、
便をするときにも砂など入ってなかった、と推論する発想を持つ点だ。
最初から、漆塗りの容器には、便とは違うもの、料理が入っていた、という記述が見られるにすぎない。
この記述から、おまるとして使うときにも、砂を入れていなかった、という推論を展開するのは無理がある。
この非論理性に気付かない時点で、文献を正しく読みこなせないことを、自ら証明している。
文献が正しく読みこなせない人物が、学問の姿勢云々と他人を非難しても、意味がない。
料理におきかえるときには、かつおぶしなどで代用できる、
防臭効果と発効分解効果が期待できるおがくずのことが話題になっているのに、
効果が期待できず、漆器に傷が付く砂が入っている話に、
自分勝手に摩り替えて、まったくかみ合わない話を作文して、
議論がおかしくなっていることに気付いていないのも、致命的だろう。
問題点を指摘されていることに気付かないまま、
「提示されたソースも読まずにいい加減なイメージで一蹴している」
と他人を非難するのは、見当違いもはなはだしく、掲示板上でまともな議論ができる人物には見えない。
巫女としか書かれていないものを、
「女神職さんと知り合いだと主張」していると、誤読を流布するのも、異常行動だと思う。
この掲示板には、誤読を繰り返し、曲解を流布し、誹謗中傷を行う始末の悪い荒らしが存在することが、
何年も前から問題視されてきたが、このスレッドでも暴れていることが判明した。
この板の過疎化の原因は、このような愚か者の悪質な書き込みが繰り返されてきたことにあると、
我々は受け止めている。
社会的に排除されるべき人物は誰か、誰の目にも明白だろう。
290:天之御名無主
09/10/21 12:36:00
きっと、可愛い巫女さんのCストリングの水着姿を見るチャンスがないから、妬んで攻撃してるんだよ。
面白おかしく笑わせる目的で、平安時代に書かれた、
はしたない悪口など、絶対信じない人のほうが多いと思うぞ。
平安時代も今も、噂話を作る人の発想はそう変わらない。
プレイボーイに対するひがみから生まれた、
モテナイ男に仕立てあげる、およそありえそうもない臭すぎる下品な悪口を、
真に受けて信じるのが学問で、信じない奴は社会的に排除すべき対象なのか?
突拍子もない乱暴な発想を振り回して、
平安時代のおまるには砂が入ってなかったという、
掲示板を読んでいるうちに思いついたような自説を、信じてくれない大勢の人々を攻撃するとは、
アホ話にもほどがある。
もしも、そのにわか作りの自説を信じさせて、認識を広めることに成功したらどうなるよ?
掲示板を用いた誤情報の捏造と流布行為にならないか?
それこそ、学術的な掲示板で絶対にやってはならない行為だろう。
アリエナイ系の暴論を振り回した自分こそ、
いい笑い者になっていることが理解できないでやっているのなら、致命的すぎると思う。
人を攻撃する発言を熱心に連投してるし、粘着害人確定だろう。
迷惑だから学問板から出て行ってほしい。
291:天之御名無主
09/10/21 17:59:34
ちなみに、屋内で便をして灰をかけて消臭することは、人ではなく猫が昔からやっている。
囲炉裏には灰を敷き詰めるのが常識だが、これが、猫にとってはトイレと同じように見えてしまい、
用を足したあと、後足で砂をかける仕草をするのだが、灰は軽いから周囲に飛び散ってしまう。
これが「結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ」と続く戯言の由来だ。
灰をかけるのは、犬猫でも全員できることなのだから、人間が出来ないはずがないと考えるのが妥当だろう。
したがって、平安時代の人は室内でおまるを使っても消臭の工夫をしなかったという珍説は、
ちょっとおかしいと感じる人が大半だと思う。
もちろん、犬猫全てよりも、人間のほうが知能が低いことが実証できれば話は別だが、
そうでない限りは、ヒノキや香木などを削ったものを用いていた可能性を捨て去るべきでないと思う。
平安時代の日本の風呂は、湯を使う湯屋や湯殿とは明確に区別され、
焼けた石の上に生木を乗せて、フィトンチッドを浴びるサウナの健康法がもとになっていて、
そのため風呂という漢字が用いられている。
病魔退散の祈祷などで護摩を焚くのも、フィトンチッドの殺菌作用や健康効果を期待していて、同じ由来を持つ。
香木を練って線香などの形で用いられるようになるまでは、香道ではチップ状、粉末状のものが使われていた。
比較的入手しやすいヒノキチップを用いてトイレの消臭を行う作法ぐらい、誰でもすぐに思いつくことだろう。
世話係がおまるを洗いに運んで行くにしても、臭いまま汁気が多い状態で屋内を持ち歩くことは考えにくい。
おがくずを使って防臭処理する作法が神社に伝わっている事例が報告されている以上、
昔からそういう工夫がなされていた可能性を推理するのは、妥当だと思う。
物証は、今後貴族の屋敷跡から発掘される可能性がゼロではないだろう。
出てくるまでは、いつ頃始まったか不明の作法が残っている、ということでいいと思う。
292:天之御名無主
09/10/21 22:11:12
なにこのスレ気持ち悪い
293:天之御名無主
09/10/21 22:17:21
すごい逆ギレを見たwwwww
294:287
09/10/22 00:49:17
>>251とか>>255のことを言ったのに関係ない人に絡まれてキモイわー
295:天之御名無主
09/10/22 09:04:51
もう話の主題変わってるかもしれないけど(笑)
さっき思い出したから
前に愛媛の道後温泉行った時、天皇が行幸で宿泊するための施設(又新殿)も見学させてもらえるんだけど
帝専用のトイレもあって、2畳くらいの部屋ぼ真ん中に四角く50センチくらい穴開けて
底にきれいな砂が敷いてある、まあ一言で言うとすごく豪華な猫トイレでした。
あと貴族のトイレ用の箱はぐぐると普通に画像が出てくる。
URLリンク(ameblo.jp)
URLリンク(www.gulf.or.jp)
URLリンク(www.sumainavi.net)
296:天之御名無主
09/10/22 19:55:25
猫トイレとかいうから、部屋の隅のトイレでプルプルしてるやんごとないお方を思い浮かべてしまった
うっかり目が合うと気まずそうにさっさと立ち去っていく
297:天之御名無主
09/10/23 12:26:05
糞尿に見立てた料理を食べる猥談文学が正しいなんて熱心に主張されると、みんな引くよね。
砂を使った、香を使ったという解説が多いから、猥談説は撃沈と見ていいだろう。
天皇も砂を使って猫レベルという情報もあるようだが、真に受けていいのだろうか。
298:天之御名無主
09/10/23 12:32:34
スレッドが気持ち悪い、キモイ、縁を切るといった、
否定的な発言を並べ立てる叩きを繰り返す、バッシングストーカーが張り付いているようだ。
例の巫女さんの一族に関する情報の流通を止めたい意図を持つ人物の発言であることは、
>>294 の書き込みからもからほぼ明らかだが、ストーカーする理由を見極めて対処する必要がある。
これ以上流れると、天皇制の存続を巡る議論に終止符が打たれるような情報が飛び出して、
皇族の息の根を止める結果になることが、
「天皇家が日本一古い家柄なのか」などのスレッドなどでも明らかになったので、
この動きを止める情報工作を考えている連中がいる、と判断するのが妥当だろう。
299:天之御名無主
09/10/23 12:41:55
漆塗りの防水加工が施された木箱で砂を使っていると、あっという間に漆塗装が壊れて、
木がベチャベチャになって、濃厚な悪臭が漂ったり、漏水していく危険がある気がする。
砂を使ったという説も、実際に試してみると簡単に破綻する、
憶測から生まれた空論のような気がしてならない。
川屋=厠と呼ばれる、川の上に建てられる水洗トイレは、縄文時代からあったようだが、
下流の人々にとっては、いい迷惑なので、
人口が増えて水汚染の伝染病問題が持ち上がると消え去るしかなかった。
土に埋めると、便は消えるのに半年かかるが、おがくずを用いた醗酵式トイレの便の分解は4時間と超高速だ。
乳酸菌などの醗酵によって、たいした悪臭を放つことなく、
水蒸気と二酸化炭素と少量のミネラルに置き換わって消える。
おまるを半年間座敷に置きっぱなしで放置してよく、
使い古したおがくずは堆肥と同じように扱えるなど、利点が多い。
おがくずと混ぜて、ある程度空気が入るように攪拌して醗酵温度を維持するという、基本さえ押さえれば、
石器時代でも実現可能な技術だという点も見逃せない。
おがくずも醗酵菌も、普通に存在するものでよく、バイオテクノロジーなどは一切不要。
つまり、ぬか漬けレベルの管理で事足りる。
日本は味噌などを作る技術が高度に発達しているので、醗酵式の発展がなかったとする定説はかなり不自然で、
醗酵式は、牛や馬の小屋で使われていただけではなく、人用のものもあったのではないかという話が、
内輪の掲示板で出て、砂などを用いた方式も並行して実際にテストする人が現れている。
糞尿から発生するガスを用いたバイオリアクターの発電方式なら、
ペットボトル2本でひとつの家庭の電力をまかなえるといった話もあるため、
伝統の知恵から学んで、現代のエネルギー問題を解決できると考える人もいる。
ある神社に現存する、胡坐で用が足せる醗酵方式のおまるが、
皇室にも伝わっていない秘伝のものだったとなると、
神様(古神道)の家は、歴史や伝承されているもののレベルが違うということか。
凄い物を見せてもらったのかもしれない。
300:天之御名無主
09/10/23 18:09:33
>>296
お前のせいで人面猫状態のやんごとな(ry
うん、昔の新聞ポンチ絵の夏目漱石猫みたいな感じ
301:天之御名無主
09/10/23 21:18:11
まいど日本史板でやればいいような話ばっかだな、ここ
もうちょっと民神板的な話題が欲しいぜ
平安時代のトイレについては西山良平の「都市平安京」で詳しく述べてるそうだから
買うか借りるかして読めばいいんじゃないの
302:天之御名無主
09/10/24 00:16:32
平安時代のトイレの状態を把握することで、幾つか重要な事柄を解明できる。
主なものとして、防疫技術、食生活、都市設計、農耕技術、品種改良などがあるだろう。
疫病の発生は、大陸との交流によって天然痘が入ってきて奈良時代に流行したようだ。
飢饉の発生と伝染病の流行は、かなり密接な関係があることが分かっているので、
便の量の把握から食糧事情を探れれば、かなり違ってくるだろう。
京都の祇園の八坂神社で、伝染病の流行が止まったことを祝う祭りが有名だが、
じつは特定の神社には、幾つか特殊な防疫技術が伝わっている。
ひとつは牛頭天王の秘術で、神社から配布される、無病息災のお札は迷信ではなく、
西洋の種痘に匹敵する免疫生成効果を期待できる防疫技術だったことが、すでに解明されている。
もうひとつ重要なのは、便を介した伝染病の流行をどのように阻止するか、という技術だ。
便を下水に流したりすると、あっという間に広まってしまう。
この問題さえなければ、縄文時代からあったとされる、川屋=厠の流水便所が一番いいだろう。
砂を用いて土に埋めて処理するのでは、便の分解に半年かかってしまうため、
地下水を汚染して井戸水が感染源になってしまう可能性が出てくる。
牛や馬を飼うときに、敷き藁をしたり、木材のチップを敷き詰める、糞を処理するときに、
植物と糞を混ぜて積み上げておくと、醗酵式トイレの条件が生まれて、便が高速処理されることは、
簡単に経験的に気付くものだろう。
303:天之御名無主
09/10/24 00:17:34
土に埋めると、便は消えるのに半年かかり、
土壌汚染が長期間続いて、飲料水に使われる井戸や川の水が汚染され続け、
伝染病の流行がいつまでも止まらない、深刻な結果を招く。
牛や馬を飼育していれば自然に気付ける、おがくずを用いた醗酵式トイレでの人糞の分解は4時間と超高速だ。
乳酸菌などが積極的に働く醗酵によって、
たいした悪臭を放つことなく、水蒸気と二酸化炭素と少量のミネラルに置き換わって消える。
おまるを半年間座敷に置きっぱなしで放置してよく、
使い古したおがくずは堆肥と同じように扱えるなど、利点が多い。
おがくずと混ぜて、ある程度空気が入るように攪拌して醗酵温度を維持するという、基本さえ押さえれば、
石器時代でも実現可能な技術だという点も見逃せない。
おがくずも醗酵菌も、普通に存在するものでよく、バイオテクノロジーなどは一切不要。
つまり、ぬか漬けレベルの管理で事足りる。
おがくずの保温効果が発揮されて、醗酵温度が最高で80度近く達するように管理されているトイレは、
その温度での殺菌効果も期待できるため、特別なことをしなくても、伝染病の蔓延に終止符を打てる。
牛頭天王の秘術として、お札に触れた人々が免疫を得ることが出来る、
本当に無病息災効果を備えたお札を作る防疫技術を伝承してきた、例の巫女さんの一族が管理する神社で、
醗酵方式で便を処理する防疫技術が伝承されてきたのは、偶然ではない可能性が高い。
平安時代のおまるの中身は屋敷の隅のほうに捨てていた、とだけ書いて、
捨てるときに、醗酵を促すためにおがくずや藁などを混ぜたかどうかまでは書かれていないケースが多い。
醗酵方式のトイレに関する知識を持たない研究者がほとんどのため、盲点になっていて、
重要な、疫病を阻止する技術に関する研究などが行われてこなかったと考えたほうがいいだろう。
304:天之御名無主
09/10/24 00:21:57
平安時代になって伝染病を食い止める技術が確立されたことは、祇園のお祭りからも伺えるのだが、
その当時の防疫技術を、失伝することなく現代まで伝えてきたと見ていいだろう。
「私は生まれてから一度も風邪を引いたことがないんです。
学級閉鎖になるような状況でも、私の周囲の子達だけは風邪を引かないので、みんな結界の存在を信じてました」
と言いながら、
団扇の言葉の由来と、扇子の誕生、
鬼(疫病を流行させる死霊のこと もちろんその正体は菌やウイルス)を食い止める結界を形成する技術について、
病理学の視点から解説してくれる巫女さんの話を聞いていると、
インフルエンザの大流行を確実に止めることができる、現代の医学よりも優れた技術が、
平安時代から日本の神社に伝承されてきたことに気付かされる。
「病魔を退散させるお払いは、このような扇子でなら十分に可能ですが、
よく使われる榊や御幣などでは、プラシーボ効果以外は期待できないでしょうね」
『世界初!大豆が新型インフルエンザウイルスを30秒で99.99%除菌』などのニュースが飛び交っているが、
昔から知られていた、樹木に含まれる成分を用いた、
人から人へのインフルエンザウイルスなどの病魔の移動を、より確実にシャットアウトする技術が、
うちわという言葉を生み出したことは、あまり知られていないらしい。
「昔は病院がないですから、神社がほぼ唯一の防疫技術の砦でした。
うちの一族に伝わる、病魔に対して結界を張る技術は、ほとんどが迷信ではなく本物です。
加持祈祷で護摩を焚くのだって、植物が持つ精油などの成分を病室に行き渡らせて、
菌やウイルスの活動を停止させる効果を狙ったもので、迷信ではありません。
巫女が自己暗示で神憑りしますが、精神感化によって、病人の脳から免疫機構に対して出されている命令を、
調整・強化する効果があることが、明らかにされつつあります。
気功などを調べている心身医学の先生方が研究結果をまとめて、論文を発表なさるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、病人を治す奇跡を起こしたとか、火と精霊を用いたバプテスマを行ったとされていますが、
似たようなことなら、うちの一族に伝わる加持祈祷を用いても可能ですよ」
305:天之御名無主
09/10/24 00:30:30
平安時代になって伝染病を食い止める技術が確立されたことは、祇園のお祭りからも伺えるのだが、
その当時の防疫技術を、失伝することなく現代まで伝えてきたと見ていいだろう。
「私は生まれてから一度も風邪を引いたことがないんです。
学級閉鎖になるような状況でも、私の周囲の子達だけは風邪を引かないので、みんな結界の存在を信じてました」
と言いながら、
団扇の言葉の由来と、扇子の誕生、
鬼(疫病を流行させる死霊のこと もちろんその正体は菌やウイルス)を食い止める結界を形成する技術について、
病理学の視点から解説してくれる巫女さんの話を聞いていると、
インフルエンザの大流行を確実に止めることができる、現代の医学よりも優れた技術が、
平安時代から日本の神社に伝承されてきたことに気付かされる。
「病魔を退散させるお払いは、このような扇子でなら十分に可能ですが、
よく使われる榊や御幣などでは、プラシーボ効果以外は期待できないでしょうね」
『世界初!大豆が新型インフルエンザウイルスを30秒で99.99%除菌』などのニュースが飛び交っているが、
昔から知られていた、樹木に含まれる成分を用いた、
人から人へのインフルエンザウイルスなどの病魔の移動を、より確実にシャットアウトする技術が、
うちわという言葉を生み出したことは、あまり知られていないらしい。
「昔は病院がないですから、神社がほぼ唯一の防疫技術の砦でした。
うちの一族に伝わる、病魔に対して結界を張る技術は、ほとんどが迷信ではなく本物です。
加持祈祷で護摩を焚くのだって、植物が持つ精油などの成分を病室に行き渡らせて、
菌やウイルスの活動を停止させる効果を狙ったもので、迷信ではありません。
巫女が自己暗示で神憑りしますが、精神感化によって、病人の脳から免疫機構に対して出されている命令を、
調整・強化する効果があることが、明らかにされつつあります。
気功などを調べている心身医学の先生方が研究結果をまとめて、論文を発表なさるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、病人を治す奇跡を起こしたとか、火と精霊を用いたバプテスマを行ったとされていますが、
似たようなことなら、うちの一族に伝わる加持祈祷を用いても可能ですよ」
306:天之御名無主
09/10/24 07:44:07
じつは、日本人は西洋人よりも小柄にもかかわらず、
西洋人よりも食物繊維を大量に摂取するため、便の量が倍以上多かったりする。
たとえば、第二次世界大戦当時、日本軍のトイレの便の量から日本人の数を推定しようとした米軍は、
玉砕後に判明した実人数と、推定人数の差が大きいことに驚いた、といったケースもある。
日本人が肉食を避けるようになったのは、仏教の影響というのが通説のようだが、
獣の肉を食べると、お腹の中の悪玉菌が増えて便が臭くなる問題は、それなりに問題視されたと思われる。
落花生などの木の実を、茶色い薄皮と一緒に食べると、
乳酸菌醗酵が促されて便の臭いだけでなく質も変わる人は多い。
縄文人の主食は木の実だったこともあり、米より木の実のほうが合う体質の人は今でもそれなりにいるらしい。
高級生味噌を落花生にからめて乾燥させたお菓子など、さまざまな工夫が見られる。
また、獣の肉を食べると堆肥にしたときの成分バランスが変わってしまい、
稲に付く病害虫が大量発生することが経験的に知られていた。幾つかの神道の家に伝承が残っている。
農耕と堆肥作りと食生活の関係を研究した人はあまりいないため、今後が期待できる未開拓分野だ。
化学肥料を用いると農地がやせ衰える弊害が、近年重要視されるようになってきた。
世界の穀物庫として知られる、中東の農地が痩せて大打撃を受けた結果、
世界の食糧事情が危うくなったことがある。
アフリカへの食糧供給が不十分になって、大量の餓死者を出したことは、記憶に新しい。
人々の命を守る先人達の知恵を受け継ぐことは重要な意味を持つ。
獣の肉を食べるといった食生活の乱れが、堆肥の劣化を招いて、
肥毒と呼ばれる状態が生まれることは、あまり一般に知られていない。
病害虫の大量発生と肥毒の関係に触れた伝承はあまり多くないので、
古い時代の知識が再現不能になる前に、積極的に掘り起こしていく作業が必要だと思う。
307:天之御名無主
09/10/24 07:49:18
日本は味噌などを作る技術が高度に発達しているので、
醗酵式のトイレの発展がなかったとする見解は、かなり不自然だと感じる。
醗酵式は、牛や馬の小屋で使われていただけではなく、人用のものもあったのではないかという話が、
ある掲示板でも出て、砂などを用いた方式も並行して、実際にテストする人が現れている。
現代でも、下水道が行き届かず、汲み取り便所や、簡易的な浄化施設しか設置されていない場所はかなりある。
タンクから汚水が漏れて、同じ敷地内の井戸水が汚染されたり、
浄化施設の性能不足で飲料水に適さない井戸水と評価されてしまうケースはかなりある。
古い時代から受け継いできた醗酵方式で、便が短時間で綺麗に跡形なく分解して土壌汚染が起こらないなら、
不安を抱かずに井戸を使うことが出来て、助かる人は多いだろう。
とくに、夏場の日照りの断水に悩まされやすい地域では、死活問題だ。
便の分解によって発生するガスを用いたバイオリアクターの発電方式なら、
ペットボトル2本程度でひとつの家庭の電力をまかなえるといった、応用面の話も出てきている。
伝統の知恵から学んで、現代のエネルギー問題、
二酸化炭素の排出と地球温暖化の問題を緩和できると考える人もいる。
巫女さんが何気ない仕草で、携帯トイレから伸びたコードを携帯電話に繋いで充電していたのが印象的だった。
暴走すると危険な可能性があるため、特許の取得や市販に至っていないが、
すでに実用化された技術と見ていいだろう。
今回いろいろ調べていくうちに、
ある神社に現存する醗酵方式のおまるが、皇室にも伝わっていない貴重なものだったことを知って、
古神道の家は、歴史や伝承されているもののレベルが違うことを再認識させられた。
308:天之御名無主
09/10/24 07:50:13
川屋=厠と呼ばれる、川の上に建てられる水洗トイレは、縄文時代からあったようだが、
下流の人々にとっては、いい迷惑なので、
人口が増えて水汚染の伝染病問題が持ち上がると消え去るしかなかったようだ。
今回の話題の盛り上がりに触れて、
京都の伝染病の発生状況と、下水や便の処理方式の変遷について、
各地の牛頭天王(スサノオ)を祭る神社に残る伝承などを、片っ端から本格的に調べ始めた人もいて、
今後の進展が楽しみになってきた。