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産経抄 12月8日
カナダ在住の歴史研究家、渡辺惣樹(そうき)さんは2年前の春、米国
ワシントン州をドライブ中に、不思議な建造物を見つけた。太平洋に砲
口を向けた、大砲が連なる要塞だ。案内板には、1904年の建造とあ
る。日露戦争の最中に、米国は何を恐れていたのか。
▼渡辺さんは、新著『日米衝突の根源』(草思社)で、その疑問に答え
た。日本が「坂の上」をめざしていた明治期に、米国で起きた重大な出
来事を検証していくうちに、ある結論に達する。米国の為政者は、20
世紀初頭にはすでに日本との衝突を覚悟し、その備えを着々と進めて
いたというのだ。
▼きょう、日米開戦70年を迎えた。なぜ、あの戦争が避けられなかった
のか。東京裁判史観にとらわれた「日本悪玉論」だけが、幅を利かせる
時期が戦後長く続いた。最近ようやく、あらたな視点で歴史を見直す試
みが相次ぐようになった。結構なことだ。
▼雑誌『正論』1月号に、中西輝政京都大教授が寄せた論考にも、目か
らウロコが落ちた。真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の山本五
十六といえば、まもなく公開される映画の主人公でもある、人気者だ。
その山本が犯した大きな誤りを、中西さんはいくつも挙げている。
▼敗戦の責任を、陸軍に比べて海軍が問われることが少なかったのは、
「戦後日本の戦争観のいびつさ」だ、とも指摘した。もちろん、渡辺、中
西両氏の主張に対して、異論は当然出てくるだろう。
▼「日本がアメリカと戦争したって本当ですか」。学生があっけらかんと
聞いてくると、都内の大学で教えている知人が、嘆いていた。論争の盛
り上がりによって、歴史に目を向ける若者が、一人でも増えてくれれば
いいのだが…。