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【産経抄】12月4日
明治維新の功労者の一人、大隈重信が交通事故に遭ったことがある。首相時代、
私邸へ車に乗って帰る途中、前を走っていた自転車が「暴走」して電柱に衝突した。
避けようとした車がハンドルを切り損ねて横転、大隈は道路に投げ出され、軽いケガをしたのだ。
▼宮田章氏の『霞ヶ関歴史散歩』によると、首相や蔵相をつとめた若槻礼次郎は
大蔵省局長時代、自転車で通勤していた。その自転車が屋台にぶつかり、
弁償させられたそうだ。陸軍教育総監の一戸兵衛は乗っていた馬が猛スピードの
車に驚いたため、振り落とされ大ケガをしている。
▼いずれも明治末から大正にかけてのできごとである。今よりも狭い道に自動車や
自転車、それに馬、人力車がひしめき合っていた時代だ。交通ルールもそれほど
浸透していなかっただろう。庶民レベルではもっと多くの「事故」が起きていたに違いない。
▼だがそれから1世紀ほどたった今でも、似たような事故が起きる。今年5月には
大阪の国道を自転車が確認せずに横断、避けようとした車の後ろにいたタンクローリーが
歩道に突っ込み、2人が死亡した。裁判では自転車の横断に問題があったとされた。
▼さすがに人力車や馬は姿を消したが、自転車は今も有力な交通手段である。
いや、省エネの時代にますます「存在感」を増している。それに従い、
歩行者にぶつかったり、自動車の事故を誘発したりということが増え続けている。
▼むろん自転車だけが悪者ではない。歩道の拡幅など自転車と車、歩行者が「共存」できる
街づくりは急務である。だがそれよりも必要なのがお互いの「思いやり」だ。
この4文字を思い起こすべきは、大災害のときだけではない。