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産経抄 11月27日
昭和35年10月12日は、当時の社会党委員長、浅沼稲次郎氏が17歳
の少年に刺殺されるという衝撃的なできごとが起きた日である。その同じ
日、野球界でもひとつの「事件」が起きていた。川崎球場で行われた大毎
対大洋の日本シリーズ第2戦でのことだった。
▼新監督の西本幸雄氏が率いる大毎は山内一弘、榎本喜八らの「ミサ
イル打線」でパ・リーグを制した。ところが日本シリーズではその打線が
湿ってしまう。そこで西本監督は八回1死満塁のチャンスに5番打者に
スクイズを命じ、失敗して併殺となり1点差で負けた。
▼むろんそこまではどんな名監督でも一度や二度は経験した失敗だろう。
その先がいけなかった。夜になってオーナーの永田雅一大映社長から西
本監督に電話が入った。「ミサイル打線にスクイズをさせる監督がどこに
いる。バカヤロー」。
▼オーナーといえども作戦にまで口をはさむのはご法度である。当時40
歳の監督は「ここにいます。バカヤローは撤回してください」とやり返す。
胸のすく啖呵(たんか)だったが、相手は「ラッパ」の異名がある口八丁手
八丁のワンマン経営者だ。逆鱗(げきりん)に触れたった1年で解任された。
▼西本さんはその後、阪急、近鉄の監督をつとめ、パ・リーグで7回も優勝
する。しかし日本一には一度もなれず「悲運の闘将」といわれた。「悲運」は
あのスクイズ失敗、いや頑固一徹な監督とワンマンオーナーとの「ミスマッチ」
から始まったといえる。
▼とはいえ、日本シリーズでの川上哲治巨人監督との「頑固者対決」は野
球ファンを十分に堪能させた。状況は違うとはいえ巨人の「お家騒動」から、
西本さんとあの「事件」を思い出したばかりだけに訃報には驚いた。