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11月9日
相撲界に「北向き」という言葉があるそうだ。変わり者とか頑固者といっ
た意味だという。石井代蔵氏の『大関にかなう』には、そんな「北向き」
の典型として元関脇・岩風が登場する。「潜航艇」の異名で昭和30年代
の土俵をわかせた怪力の力士である。
▼頭を下げる独特の相撲で初代の横綱・若乃花を土俵外へ放り投げたこと
もあった。だが稽古嫌いである。気にくわないことがあると1週間も2週
間も口をきかない。特に相撲記者には無口で、殊勲の星をあげると記者た
ちは「困ったのが勝ちやがった」と嘆いたという。
▼時代が下り、土俵から「北向き」も少なくなっていった中で、そんな雰
囲気を醸し出していたのが、横綱・隆の里だった。こちらも「ポパイ」と
呼ばれた怪力で、糖尿病に悩まされたのも岩風と同じである。やはり無口
で記者泣かせだった。
▼サンケイスポーツの今村忠編集委員によると、じゃんけんしてチョキで
負けたのに「チョキはグーに勝ちだ」と譲らなかった。故郷・津軽のルー
ルだと言うのだが、それほど頑固だった。岩風と違ったのは稽古熱心なこ
とで、糖尿病も克服して最高位まで上りつめた。
▼その頑固ぶりは親方となり鳴戸部屋を起こしても変わらなかった。多く
の力士が他の部屋を訪ねて技をみがく「出稽古」が主流という時代に、弟
子たちにこれを禁じた。「ヨソの部屋の力士に情がうつるから」という理
由だが、どこか幕末の攘夷論者を思わせた。
▼亡くなったのは、週刊誌で部屋での「暴力」が取り上げられた騒ぎの最
中だった。真相はわからないが、その頑固さが騒ぎを招いたことは間違い
ないだろう。どの世界にも「北向き」の1人や2人いなくては寂しい。