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2011.10.25 02:48 [産経抄]
きのう取り上げた「キティ・ジェノヴィーズ事件」が、米国社会に衝撃を与えたのは、ニューヨーク・タイムズ紙の記事が
きっかけだった。なぜ、38人もの近隣住民は、若い女性が襲われているのを傍観していたのか。
▼取材の指揮を執ったA・M・ローゼンタール記者には、『38人の沈黙する目撃者』というノンフィクション作品がある。
初版から半世紀後の今年、邦訳(田畑暁生訳、青土社)も出た。特派員生活が長かったローゼンタール記者は、
そのなかで読者に問いかけている。
▼世界のどこかで、宗教や政治上の理由によって迫害を受け、叫び声を上げている人のことを考えてほしい。
彼らを助けるどころか、関心さえ持てないのなら、「あの38人の目撃者を憎むように、自分自身を憎まなくても
許されるのだろうか」と。
▼「タイの大洪水について、マスコミは日本経済への影響ばかり報じている。歴史的にも関わりの深い国に対して、
手を差し伸べる姿勢がもっとほしい」。読者から、こんな内容のお手紙をいただいた。おっしゃる通りである。
▼トルコで起きた大地震についても、同じことがいえる。東日本大震災では、救援隊を差し向けてくれた長年の親日国だ。
ともに地震多発という共通の悩みを抱え、防災関連の専門家の交流も活発に行われてきた。
それでも、今回の地震で邦人の被害がなければ、関心も薄れていくかもしれない。
▼いや、自分の国で起こった未曽有の大災害についてさえ、「傍観」や「無関心」が広がりつつあるのではないか。
でなければ、福島第1原発の事故発生以来、放射能で亡くなった人はいまだゼロにもかかわらず、風評被害が
収まらない理由を説明できない。