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産経抄 10月21日
山登りの途中で崖から転落しても、電車の衝突事故に遭遇しても、新聞
やテレビは、亡くなった人たちを「犠牲者」と呼ぶ。確かに辞書には、戦争
や天災、事故などに巻き込まれ、死んだり傷ついたりした人、とある。
▼しかし、「犠牲」の本来の意味は違う。『角川大字源』によれば、「犠」も
「牲」もともに字義は、「いけにえ」だ。古代中国の殷の湯王が日照りのと
き、自分の身をいけにえにして雨乞いをした故事から、「他人や国家のた
めに自分の生命や利益をささげること」だという。
▼福島第1原発事故の現場で、自衛隊と警察、消防の部隊が就いた危
険な任務は、まさに犠牲という言葉がふさわしい。彼らは国際社会で、
「フクシマの英雄」とたたえられ、権威ある「スペイン皇太子賞」が贈られた。
▼授賞式がきょう、スペイン北部のオビエド市で行われる。といっても、現
場では、事態収束に向けて、東京電力や関連会社の職員による苦闘が、
今も続いている。もっといえば、英雄はフクシマだけにいたのではない。
▼東日本大震災の発生直後、海岸に人がいるのを見つけパトカーで向か
う途中で津波にさらわれた警察官、マイクで住民に向けて避難を呼びかけ
続け、逃げ遅れた役場の女性職員、海沿いの水門を閉鎖しようとして亡く
なった消防団員…。多くの犠牲を日本人はけっして忘れないだろう。
▼それにしても、毎年叙勲で高ランクの受章者の顔ぶれを見るたびに、国
家のためにどれほど自分をささげたのか、という観点より、社会的な地位
が優先されているように思えてならない。犠牲の意味があいまいになった
背景には、そんな勲章制度があるのではないか、と余計なことを考えた。