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昨今の右傾化する若者に冷笑を浴びせる目的で、
彼らをかつての左翼闘争になぞらえる議論が、奇妙なことに
そのかつての闘争を担った社会層から、くり返し提起されている。
マスコミに騙された昔の左翼と、インターネットで双方向の洗礼を
耐えぬいた今の若者では、構造的に存在が異なる。
公正な情報に触れるすべを持たなかった昔の若者への
エクスキューズは必要だが、そのハンディを理由に拗ねる態度は
老人にもとる。
小林よしのりという人はよく知らないが、この人もまた、
あの種の職業の宿命と、自分の世代へのシンパシーに囚われる情念から
自由になれない人だった。話題の記事は、その世界で名をなした人に
ふさわしいオリジナリティとプライドのかけらもない。
変な例だが、アグネス論争に割り込んだ上野千鶴子は、こうではなかった。
マスコミは死んだ、某という局は死んだ、という筑紫哲也の言葉は、
マスコミは、民衆の判断力と行動力に甘えながら嘘をつきつづける存在に
なったという宣言である。その通り、今彼らの庇護下にあるのは、
そこまで嫌がられるのなら少し遠慮しようと考えない、
ショービジネスの原理原則を外れた、奇形じみた勢力である。