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2011年7月19日 掲載
日本女子サッカー 「赤貧生活30年」
86年に初代女子専任代表監督に就任した鈴木良平氏(ドイツサッカー協会公認S級コーチ)が、「当時の
日本サッカー協会の女子サッカー年間予算は、ちょうど50万円でした」とこう続ける。
「それも女子代表の強化のためではなく、年に一回の全日本女子サッカー選手権の開催運営費の名目でした。
国内合宿を行うにしても、海外に遠征するにしても、何よりも現金が必要でした。そこで三菱重工サッカー部
OBで女子サッカー連盟の理事長だった森健兒、吉田泰知の両氏の口添えで三菱自動車社長に面会。
“女子代表のパンフレットを作ります。つきましては法外な広告料を出していただけませんか”―と直談判
しました。相場5万円ほどのところを300万円出していただき、それを合宿や海外遠征の費用に充てました。
あと海外遠征の場合は、滞在費を支給してくれる大会を選んで参加しました。しかし、それでもお金が足りないので
渡航費など遠征費の半分を選手全員が自己負担したことがありました」