11/06/14 05:53:34.38 vaPGxgvt0
【産経抄】
6月14日
2011.6.14 02:49
引き際の見事さといえば、今も落語界の語り種(ぐさ)となっているのが、八代目桂文楽の最後の高座だ。
昭和46年8月31日、国立小劇場で「大仏餅」を口演中、神谷幸右衛門という人物の名が出てこなくなった。
▼「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」。何度も稽古した「詫(わ)び口上」を述べて
高座を降り、その後は一切寄席に出ず、3カ月後に79歳の生涯を終えた。その文楽にも、ひとつだけあき
らめきれなかったことがある。
▼戦時中大陸や南方に行ったきり、消息のわからなくなった未帰還者が2万人以上もいた。文楽の長男
もその一人だ。15歳で電波探知機関関係の軍属を志願して採用された長男は、20年7月に大陸に渡り
まもなく消息が絶えた。
▼留守家族の多くは、時がたつにつれて帰ってこない夫やわが子の死を認め、遺族年金などを受け取る
ようになった。文楽はしかし、かたくなに手続きを拒んだ。「生きていると信じることが、親の生きがい」と語っ
ていたという。
▼東日本大震災の行方不明者は、いまだ8千人近い。災害発生から3カ月が過ぎると、行方不明者を
「死亡」と見なし、家族に災害弔慰金が支払われる。「弔慰金を受け取れば、死を認めることになる」「生活
のためにやむを得ない」。残された家族の思いは揺れているという。
▼そんな被災者の悲嘆の声を知ってか知らずでか、岩手県釜石市を先週末訪れた菅直人首相は、
ボランティアセンターの壁の寄せ書きに、「決然と生きる」と書き残した。今や首相の存在が、復興への
最大の障害との認識が、与党内でも広がっているというのに、まだ居座るつもりらしい。引き際の悪さで、
歴史に名を残そうというのだろうか。