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産経抄 6月7日
「大正二年八月二十六日、中箕輪尋常高等小学校長赤羽長重君は修
学旅行のため児童を引率して登山し、翌二十七日暴風雨に遭って終に
死す」。伊那駒ケ岳(2956メートル)にある「遭難記念碑」に刻まれてい
る文言だ。
▼その左側には、共殪(きょうえい)者、つまり共に殪(たお)れた者とし
て11人の児童の名前が記され、「大正二年十月一日 上伊那郡教育会」
と結ばれている。事故から1カ月後に建てられた碑が、なぜ「慰霊碑」で
なくて、「記念碑」なのか。新田次郎の『聖職の碑(いしぶみ)』は、そんな
問いかけから始まる。