11/05/21 07:49:43.17 HmO++7ts0
5月21日
2011.5.21 02:57
戦後30年ほど、大阪のど真ん中に広大ながれきの山が存在していた。大阪城の東側に
あった兵器工場、大阪砲兵工廠(こうしょう)が昭和20年8月、米軍の大空襲で焼け落ちた。
その跡が一部、手つかずで残っていたのだ。
跡地利用が決まらず、不発弾が残っている恐れもあったからだ。
▼20年代や30年代には放置された鉄材や銅材を狙う金属盗が出没、警察との間で
捕物劇をくり返した。現場は西部劇の舞台を思わせたので「アパッチ族」と呼ばれた。
そのたくましい生活力は開高健氏の『日本三文オペラ』などの小説にもなった。
▼戦災のすさまじさの象徴と言えばその通りだ。しかし大阪環状線の電車からも
コンクリートの残骸が見え、雑草が茂るその景色は異様だった。今では公園やビル街に
変貌しているが、大阪の都市開発のネックの一つになっていたのも事実である。
▼今回の大震災がもたらしたがれきは、建物や家財だけでも阪神大震災のざっと1・7倍、
約2500万トンと試算される。車や船を加えるとさらに膨らむという。復興に当たって
大きな障害と指摘されてきたが、ほとんどはまだ手つかずのままだ。
▼こちらは魔物のような大津波の爪痕である。ボランティアなどで被災地を訪れる人は、
その山を見て人生観、自然観が変わる思いがする。被災した人々にとっては、
日々トラウマが大きくなる。そのこともまた、一刻も早く取り除かねばならない理由だ。
▼政府の緊急災害対策本部は、避難所や居住地近くのがれきを8月末までに撤去する方針だという。
その通りにできても3カ月以上かかる。損壊した家の持ち主の了承など難問は多い。
だが間違っても、何年もそのままにすることがあってはならない。