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≪腐敗していく民衆政治≫
自民党を怯(おび)えさせ、また民主党を高ぶらせているのは「数の論理」である。
「民主主義は多数決だ」(小沢一郎民主党幹事長)という猛々(たけだけ)しい言葉の
前で自民党は萎縮(いしゅく)している。しかし、この文句はデモクラシー(民衆政治)
の腐敗の明らかな兆候なのだ。
なるほど、民衆政治は「多数参加の下での多数決制」という数の制度である。しかし、
これから正が出るか邪が出るかは、「民意」なるものが優等か劣等かによる。たとえば、
議会での議論が必要なのは、民意によって選ばれた多数派の政権も、フォリビリティ
(可謬性つまり間違いを犯す可能性)を免れえないからだ。またたとえば、ほとんどす
べての独裁が民意によって、換言すると民衆政治を民衆自身が否定することによって、
生み出されもした。こういうものにすぎぬ民衆政治を民主主義の理念にまで昇格させた
のは、自民主義にせよ社民主義にせよ、近代の理念における錯誤だらけの模型であり流
行である。
デモクラティズム(民主主義)は民衆という多数者に「主権」ありとする。主権とは
「崇高、絶対、無制限の権利」のことである。ただし、民衆が「国民」であるならば、
国家の歴史に秘められている英知のことをさして、主権という修辞を与えることも許さ
れよう。しかし、平成列島人のように国家のことを歯牙(しが)にもかけない単なる人
民の民意に主権を見いだすのは、民衆政治の堕落にすぎない。これから誕生する保守の
最初の仕事は、民主主義を国民政治への最大の敵と見定めることであろう。
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