11/03/22 06:09:35.64 jvrFD1KfP
産経抄 3月22日
佐賀県唐津市肥前町高串地区にある「増田神社」では、毎年7月に夏
祭りが行われる。町中を巡回する山車に載っているのは、白馬にまた
がった警察官の人形だ。全国でただひとつ、増田敬太郎という警察官
をまつる神社ならではの趣向である。
▼明治28(1895)年7月、新米巡査の増田はコレラが大流行していた
この地区に赴任した。不眠不休で患者を隔離したり、遺体を埋葬したり
しているうちに発病し、赴任わずか4日目に帰らぬ人となる。25歳だった。
▼「高串のコレラは全部背負っていきます」。増田巡査の遺言の通り、ま
もなくコレラの流行が収まった。地元民の感謝の気持ちが、やがて神様
としてあがめるようになった。以来、どれほどの数の警察官が、人命を救
うために犠牲となってきたのだろう。
▼東日本大震災で殉職した警察官は、宮城、岩手、福島の各県で15人
にのぼる。その1人、宮城県警気仙沼署大谷駐在所の千田浩二巡査部
長(30)は、1年前に奥さん(30)、長女(4)、長男(3)と赴任したばかり
だった。地震発生直後、海岸近くに人がいるのを見つけ、パトカーで向か
う途中で津波にさらわれた、と小紙が伝えていた。
▼それだけ危険を伴う仕事であっても、今後も志願する若者は絶えない
はずだ。震災発生から9日ぶりに、宮城県石巻市の倒壊家屋から80歳
の女性と16歳の孫の高校1年生が救出されるという、「奇跡」の立役者
となったのも警察官だった。
▼きのう記者会見した石巻署の清野陽一巡査部長(43)によれば、一緒
に救出に当たった若い巡査が、「警察官になってよかった」と話していたと
いう。「なってよかった」と、胸を張って言える職業は、それほど多くない。