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産経抄 3月19日
司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』は土方歳三が「くらやみ祭」に出掛ける
ところから始まる。今も東京都府中市の大国魂神社の例大祭として続い
ている。歳三の時代はわずかな灯(あか)りも消して、真の暗闇の中で
行われ、若い男女がひとときの開放感に浸ったという。
▼むろん電灯などなかった時代だ。家も町も現代と比べものにならない
ほど暗かっただろう。だから暗闇といってもさほどの違和感はなかった
のかもしれない。この後土方は、近くの分倍(ぶばい)河原で地元の剣
客らと斬り合いを演じているが、それも闇の中でである。
▼日本で一般家庭に電灯がつくのは明治も20年になってからだ。前年
に開業した東京電灯会社が日本橋に建設した発電所から東京の一部の家
庭に送電したという。エジソンが白熱電球を開発してからまだ数年後で、
世界でも極めて早い方だった。
▼当初はまだ都市のごく一部だけで、日本中に普及し出すのは、明治末
か大正の初めごろからだった。つまり日本人が電灯という文明の利器で
「明るい生活」を享受し始めてまだ100年ほどしかたたない。山間部
ではやっと50年という所もある。
▼しかし大地震による計画停電で、夜間電気が止まってまず感じるのは
「暗さ」である。暖房が使えなかったり料理ができなかったりという問
題もあるが、灯りがないことの不安は格別だ。特に街灯も消え、車の光
だけとなる道路では、男女を問わず不気味な思いにかられる。
▼とはいえ避難先で寒さに震えている人たちのことを考えれば文句は言
えない。原発の放射能漏れと戦っている自衛官らを思えばなおさらだ。
幕末や明治時代に戻ることはできないが「暗さ」と共に生きる術(すべ)
も工夫せねばならない。