11/02/17 14:56:17 yWEZGA9c0
>>450
建築学上、風車とは「真球」を前提としている。
つまり大工は、ここから船や楽器、工芸に展開が可能である。
風車があるだけで、建築が学問として、通信として成立している。
よって日本人にも「アカデミー」概念が理解出来るようになる。
ただアメリカの場合、むしろアカデミーは廃れた存在として、私物化の中にある。
もしくは「浄土真宗のようなものと化した」と比喩することが出来る。
したがって「戦争肯定的」であり「戦争導入シナリオ」を踏襲することがある。
結果、アメリカでは風車が排除され、
金属繊維の発電機が、特定の人物の為の方程式の一端を形成するのみ、となる。
金属は「大気を汚染する物質」だからである。
これは、日本で「地形」が平らに変更され、
結果、国土面積が著しく削減し、水源地も無くなったという経緯と似ている。