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産経抄 10月15日
愁いを含んだまなざしに、楚々(そそ)とした立ち居振る舞い…。「柳腰」という言葉か
らまず連想するのは、竹久夢二の美人画だ。外交用語でも使うとは、知らなかった。
仙谷由人官房長官は、菅直人政権の対中国外交が「弱腰」だ、との批判に、「柳腰
外交」だと反論している。
▼仙谷氏は、小紙の報道に「憤懣(ふんまん)やるかたない」そうだが、奇妙な日本
語の独り歩きを見逃すわけにはいかない。それ以上に聞き捨てならないのが、日露
戦争のポーツマス条約(明治38年)を引き合いに出しての発言だ。
▼「ロシアから賠償金も取れずに条約を結んだのはけしからんといって、日比谷公園
が焼き打ちされる大騒動に発展した。(衝突事件でも)釈放や逮捕だけ取り出してど
うのこうのと声高に叫ぶことはよろしくない」。どうやら仙谷氏は、自らを当時の外相、
小村寿太郎に重ね合わせているらしい。
▼優勢を保ちながらも、戦争継続が難しい状況に追い込まれた日本は、米国・ポー
ツマスで開かれた講和会議に臨む。小村は、ロシア側代表のウイッテ元蔵相との息
詰まる外交戦の末に、南樺太の割譲などの成果を得て講和を成し遂げた。
▼実情を知らされていない国民の失望と憤激を百も承知の小村は、一言の弁明もし
なかった。帰国した小村を新橋駅で出迎えた桂首相と山本海相は、その腕を抱えて
出口に急ぐ。吉村昭によれば、「爆裂弾か銃弾が浴びせられた折には、共に斃(た
お)れることを覚悟していた」からだ(『ポーツマスの旗』)。
▼中国船船長の釈放とビデオ映像の扱いの両方を検察当局に押しつけた、卑怯(ひ
きょう)な振る舞いとの違いは大きい。政府批判を愚民の戯言(ざれごと)と嗤(わら)
う前に、当時の為政者の覚悟を見習うべきだろう。