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産経抄 10月13日
映画「青い山脈」が封切られたのは61年も前の話だから、池部良さんといえば、「昭
和残侠伝」シリーズの風間重吉を思い浮かべる読者の方が多いかもしれない。単身、
敵のやくざに殴り込む高倉健に「ご一緒、願います」と番傘をさしかけ(なぜか雪が降
っている)、壮絶な最期を迎える。
▼次回には、役名も同じ重吉としてよみがえり、シリーズは計9本つくられたが、当初、
池部さんは出演を断っている。日本映画俳優協会のリーダーとして暴力団との絶縁を
宣言したばかりで、やくざ役は具合が悪かった。
▼それでも引き受けたのは、祇園の旅館に押しかけてきた名物プロデューサーの「高
倉を池部はんのお力で男にしてやってもらえまへんやろか」という声涙倶(とも)に下る
説得に感じ入ったからだという。その場面は、彼自身が書いている。
▼池部さんは、エッセイストとしても一流だった。監督になるつもりで東宝に入社したが、
召集され、南洋の孤島で米軍の爆撃と飢餓に苛(さいな)まれながら終戦を迎える。エ
ッセーは、戦争体験にユーモアの衣をまとわせ、からりと揚げた味わいのものが多い。
▼あるとき、80歳近い大学の後輩が血を吐き、「遺書」が息子から速達で送られてき
た。戦没学生の慰霊碑を母校に建てようとしたら「戦没者は、戦争加害者であり平和
を願う大学の理念に背く」と断られた、先輩も大学当局を糾弾してほしい、と。
▼血を吐いた後輩はがんではなく、魚の骨が刺さっただけで、すぐ電話がかかってき
たという落ちにしている(「ああ戦没学生」)が、こんな大学が東京六大学のひとつかと
思うと悲しくなる。エッセーという池部さんが遺したドスは死後も錆(さ)び付いていない。