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京都新聞 9月9日付朝刊 「窓」 無年金裁判に国の責任問う
右京区 朴 成琴 (自由業・63)
私は先日の「窓」欄の「アジア軽視は おごりとおなじ」という高校生の投書を読んで、彼の情勢に対する洞察力に感嘆するとともに、すがすがしい気分になった。
現在、京都地裁で在日韓国・朝鮮人高齢者無年金裁判が行われている。
原告はいずれも七十代後半から八十代のおばあさんたちである。
原告たちはなぜ在日外国人であるがために年金を受けられないのか。
訴訟を起こすに至った理由についていろいろと証言した。
「私も子供も孫も皆、税金払っているがなぜ年金をもらえないのか。そこから(裁判の話が)出ました」
「使えるときには酷使して、出すときに出さないのは卑劣」
「豊かな日本の国を共に建設してきた自負はあります。まじめに生きてきました」
まだ判決が出ておらず無年金状態を民族差別だと一言で片付けてしまうのは簡単だ。
しかし私は、片付けてはならないと思う。
人としてこの世に生を受けた者には、すべからく人として生きていく権利があり、その権利を付与、保障していくのが国家というものの最低かつ最大の役目、責務ではないだろうか。
在日の人たちはかつての圧政によって故郷を離れざるを得なかったり、強制連行されて犠牲になった当事者とその子孫たちであるということを忘れてはならない。