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10月31日 朝日新聞東京版声欄
検察審査会は本当に「民の声」か
無職 佐藤 武彦(新潟県田上町 77)
検察審査会の議決が「民の声」だとしてもてはやされています。しかし、私は本当に「民の声」にするためには、
審査会を公開にしなければならないと思います。
司法にも市民感覚を反映させる、という趣旨では、裁判員制度と共通しています。
しかし、裁判員裁判は公判という公開の場があり、判決後に、裁判員が義務ではないにせよ会見して
テレビカメラの前で感想を述べているのに対して、検察審査会はどのように開催され、どのように審査されたか、
国民に全く明らかにされません。審査員が国民の前に姿を現すことも、感想を述べることもほとんどなく、
秘密のベールに包まれています。
審査員は国民の耳目を意識することがないために、強い責任を感じることも緊張感を強いられることもなく、
自由に判断できるのかもしれません。しかし、それが「嫌疑は不十分でも黒白は裁判で」という安易な考え方を
生むのではないでしょうか。
検察審査会を公開することによって、審査員は自らの責任と国民の思いを意識して、より周到に考え、
慎重に判断すると思います。それでこそ「民の声」といえるのではないでしょうか。公開へ向け
早急な取り組みが必要です。
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テンプレ化しつつある審査会批判。
公開によって、審査員が議決によって不利益をこうむる恐れとかはスルーか。
「国民の思い」は世論調査とか見ても「小沢はいっぺん法廷に出てこい」なんだが。
そもそも「説明する」言いながら抗告したり、一兵卒が幹事長の呼び出しにも応じない件。