10/09/01 06:20:02 kRI+UA2M0
産経抄 9月1日
年号がまだ昭和だったころ、駆け出しの支局記者だった小欄は、「記事は短く、端的に」
「手垢(てあか)のついた表現はするな」と支局長やデスクからたたきこまれた。とはい
っても言うは易(やす)く、行うは難し。
▼「代表選をめぐって民主党内では、国民不在の茶番劇が繰り広げられている」という
のも手垢にまみれた表現の一例だ。確かにその通りだが、権力闘争が「国民不在」で
なかった例はほとんどないし、見え透いたばかばかしい行為を意味する江戸時代以来
の「茶番」という言葉も古くさい。
▼民主党の小沢一郎前幹事長の異名である「剛腕」も手垢がつき過ぎ、さび付いてい
る。20年以上にわたって政界の主役を張り続けているのは事実だが、本当に剛腕なら
とっくの昔に首相として采配(さいはい)をふるっていただろうし、「政治とカネ」の問題も
すっきり説明していたはずだ。
▼崇高な「大義」も話す人と使い方によっては、手垢にまみれてしまう。鳩山由紀夫前
首相は、「代表選では小沢氏を応援するのが大義だ」と述べたが、辞書で「大義」を引く
と、(1)人間として踏み外してはならない最も大事な道(2)国家・君主に対する忠誠-
とある。
▼鳩山氏にとって、「総理に導いていただいた」小沢氏に忠誠を誓うのが、人間として
踏み外してはならない道というわけだろう。大義も軽くなったものだが、前首相は肝心
なことを忘れてしまっている。
▼昨年の総選挙で民主党が大勝し、鳩山氏を首相に導いたのは有権者であって小沢
氏ではない。こんな「宇宙人」が仲介してうまくいくはずがない。もし談合で菅直人首相
の続投が決まっていたなら民主党はご臨終だった。この党はトロイカと称する3人の私
党ではないはずだ。