10/12/04 20:34:05 I2s4iSUx
キリスト教世界では、貪欲自体が罪だとする考え方もある。
これは極端だが、人間誰しも、求めること自体に対する躊躇があるものだ。
コノハは、過去のトラウマについて懊悩する。
その悩み、苦しみについては微細に何度も描写され、ストーリーの骨格となっているのだが、
その反面、現在必要なものについては全てが与えられ、コノハは欲求を覚える必要すらない。
恋人も親友も、学校の成績すら全て向こうからやってくる。
(まあ、典型的なラノベですな)
神に挑むで、初めてその雑味が気になりだした。
コノハ自身状況に振り回されるのだが、その一方でコノハ自身もななせ、一詩をふりまわし、
それに対して何の躊躇もない。
サブキャラ視点でコノハをみると、やってることは結構鬼畜。
最初からそういう面も持っているキャラクターとして描写されてるならともかく、ここにきて
そういう粗が目に付くとすれば、これはキャラクター設定ではなく描写の失敗なのだろうと
判断した。
そういう視点で物語を改めて眺めると、多くのキャラクターが、求めると言う行動に躊躇を
せず、しかも求めるためには手段を選ばないということに気づき、愕然とする。
このはを作家にするために手段を選ばなかった流人は言うに及ばず、実験と言ってコノハすら
罠にかけた千愛、コノハに会うためにななせを階段から突き落とした美羽、問答無用で殴りかか
る一詩。
しかも、それら全てが終わった後、都合よくきれいさっぱり水に流されてる。
これほどまでに詳細に伏線を張り巡らすことの出来る作者が、この雑味に気が付かないのだろうか?
もしかして、雑味を感じていないのでは?