10/07/08 19:50:14 WVYi0J+7
大日向の『友達』は、その定義がゆえに問題になったのではなくて、「その子」との関係性から発生した問題なのでは?
本人の義理堅さや「その子」に対する後ろめたさ、或いは漠たる恐れなどから
本来友達と呼ぶはずの、たとえば里志の妹などを、知り合いなどと呼ぶことになってしまったのだと思う
「仲のいいひとを見てるのが一番幸せ」ってことに屈折した感じは見受けられないし
誕生パーティーの際の友達という言葉にも特別なニュアンスが含まれているとは考えずらいことからも
友達観はそれほど一般的なものから外れていない、むしろ普通より模範的なぐらいだったのではと思う