11/12/03 23:00:48.49
>>237
なんと無くどんなのか想像できました。
4万代の2つは手が出ないとして、1.5か2万で迷う・・・
239:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/04 22:22:49.07
元々は仏像って石で作ってたんだし
材質はあんま気にしないでもいいと思うよ
240:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/05 23:16:19.88
普通の神道系のお稲荷さん拝んでみたけどダキニ天さんと験の出方似てるね
金銭関係は即日結果出るけど体の不調が一緒に来るとことか全く一緒
241:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 19:14:20.09
>>240
具体的にどんなことが?
242:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 19:35:48.28
>>241
だから
金銭関係は即日結果出るけど体の不調が一緒に来るとことか全く一緒
243:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 19:46:21.62
どんな体の不調?
244:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 19:51:17.27
ああそういうコトねゴメンw
まあいつも決まってないけど色々ね
今回は仕事のしすぎで腱鞘炎
荼吉尼天さん拝んで寝ずに仕事で疲労とかね
代償は必ず体調に来るけど験は早い
245:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 20:11:59.84
>>244
それって体調不良が代償なんじゃなくて、お金が欲しいのならと仕事
回して下さったのについていけんかったというだけでは?
246:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 20:21:03.22
>>245
天部拝んだことないでしょ
247:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 20:23:44.27
>>245
意味フ???
248:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 21:46:46.45
>>247
俺は >>245じゃないけど彼が言いたいのは
お金が欲しいと願っても棚ボタでお金が手に入るわけではなく
仕事が順調になるとか、労働の結果でお金が入るという形で
願いがかなうって事じゃないのかな?
249:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 21:50:26.34
>>248
だからそれが天部拝んだ時の代償でしょ
バカじゃないの?
250:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 21:56:29.76
それと棚ぼたでお金が入るように拝んだなんて一言も言ってないわ
251:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 22:25:39.83
>>248
>労働の結果でお金が入るという形で
>願いがかなうって事じゃないのかな?
そんなの常識でしょ?商売繁盛、五穀豊穣がご利益でしょうに
>>240さんはダキニ天と稲荷神のご利益の出かたが一緒だって話をしているんだから
その辺解ってらっしゃる人なのに素人のあなたが講釈するのもどうかと思う
252:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 22:29:35.37
>>245
>ついていけんかったというだけでは?
ついて行けない程のご利益で体調崩すのがご利益の代償でしょ?
ダキニ天さんはその傾向があるのは私も体験してる
ちなみに弁財天さんは異性関係にヒビが入るけれど長く続く仕事を紹介してくれるのが代償
253:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 23:42:57.09
>>251
なにをムキになってるの?
その程度の知識をけなされたからって逆切れするのは
きっとコンプレックスが強い人なんだね。
254:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/07 23:47:19.66
>>253
>その程度の知識をけなされた
けなしてるの?
素人が講釈垂れてるように思ったけど?
255:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/08 03:23:14.00
>>254
ゴミみたいな知識を振り回して講釈だのなんだのと
笑止千万
256:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/08 23:44:25.38
>>246
なんだwあんた天部拝むと障碍も貰う質かw
可哀想になw
257:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/09 00:18:40.90
荼枳尼天と稲荷の験が同じに感じるってのは
まだ眷属狐程度しか実感できていない証拠だしね
どっちも眷属狐の段階だと験は確かに似てるけど
それで荼枳尼天と稲荷が似てるとか言い出すのは少し浅いかな
258:名無しさん@京都板じゃないよ
11/12/10 00:12:54.50
『論語』子張篇第十九
叔孫武叔、大夫に朝に語りて曰く、子貢は仲尼に賢れり。子服景伯以て子貢に告ぐ。
子貢曰く、之を宮牆に譬うれば、賜の牆や肩に及べり、室家の好きを窺い見ん。
夫子の牆や数仞、其の門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富を見ず。
其の門を得る者或は寡なし。夫子の云うこと。亦宜ならずや。
人間の徳を建物の垣根に譬えるのならば、
小さな家は垣根が低いため簡単に庭が見えるので
誰でもそれなりに見栄えが良いとわかるものだが、
大きな家は垣根が高いために入口を見つけて中に実際に入ったものにしか、
その豪勢な屋敷を知ることはできない。
これと同じように、偉大な人物ほどその徳を凡人には理解し難い。
稲荷神やダキニ天と比べれば、
眷属狐の徳や利益の方が凡夫には見やすいのもこれと同じことだろう。