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霊界寺子屋 第十五章 神社とのかかわり
日本の多くの家庭では、仏壇と神棚の両方祀ってあるが、外国ではそのようなことは無く、
他国の人からは、奇異な目で見られています。
神社のルーツを辿ることは繁雑になり過ぎるので、大まかに考えてみます。
古代人にとって、太陽の神など、自然神崇拝は、農業と結び付いていた生活をしていたため、
何よりも必要な信仰だった。
この太陽の神の信仰は、将来 天照 として信仰されるのであるが、記紀(天皇の勅命に
よって編纂された、
公認の歴史書であるが、当時の権力者によって都合よく書き換えられることは、想像に易い)
にあるように、皇室の祖神でもなく女神でもない。
神道が仏教の外、陰陽道や儒教などが影響を及ぼし壱千数百年もの長きにわたって、
仏と融合してきた神仏習合という関係にあった。
平成三年の事でした。愛染明王という体が赤く手が六本おもちの明王様がおりられて「そなた、
神社の天照という神は誰だか知っているか?」と問われ、答えられないのを見て「あるとき、
熱心に修行している神官に大日如来が、私のことを天照と呼びなさい。と言って降りたのだ。
その時から神社との拘わりができ、他の仏も行き来した。
しかし明治維新の時、神仏分離令と廃仏毀釈により本家本元の寺や仏像が壊され、
そこにいれなくなり、全ての仏は寺に戻った。
それ以後全く神社とは拘わりがなくなった。」と教えていただいた。
また「私は今から一万四十七年前に不動明王から誘われ曼荼羅(仏族)に加わった。
不動は、カリスマ性に長けてるからなー」とおっしゃって戻られました。