11/07/02 09:08:36.36
今朝の一言 薮医者モドキは去った
自分の可能性を発揮することなく、厚生省の御用医者は、生かさず殺さずでリュウマチやヘルペス
の治療をして、お客を固定化して、安定に病院の収入を図っている、、、というようなモドキは去った。
残ったのは、常識無く、愚かな努力をしない僧侶の玉子と宗教オタクだけになった。
中村も、スピッツの如く、遠くで吠えているだけで、此処で名前を出して書き込む事が出来ない心の
小さな人間のようだ。
医療にしても、宗教にしても、人を救う事が先で、その結果自分が生かされる。
しかし、2chの書き込みをしていると、そうではない事が分かる。
医療は病院の安定継続
寺は、檀家組織を寺の安定維持に使い、業績は集金能力だと血眼だ、そこには檀家の幸せは無い。
また、今時マスコミをにぎわしている菅総理はなりふりか構わず保身に全力で取り組むも、国民に
向けた心は微塵にも感じられず、大勢の前でほけて見せるあの態度は、日本の末期の形相だ。
国も、医療も、宗教も、自分たちの身の保全しか考えていない今、庶民は何を持って生きなければ
ならないのか、深く考える時期に来ている。
民主主義は、無駄を生じ効率が悪いが努力をすれば国民の意によって歩む事が出来る。
共産的手法は、結論が即座に出て、そういう効率は良いのだが、国民による軌道修正は出来ない。
医療も、宗教も、国民の心は入りにくい、組織のレールに乗るしかないのだ。
日本の医学は進んでいるのか、アメリカに負けない技術があるのか、よく考えなければならない。
年金制度や医療保険制度、厚生省の思惑通りにされて、無駄金使われ破綻寸前、国のミスで
あっても、やっと肝炎訴訟の決着、国が全ての肝炎の人の治療を国費でやってはいけないのか?
洋画を見ると、正装をして日曜礼拝に教会に出向くが、日本はそういう信仰心を持っているのは
少数に見える。
寺は、最も優れた仏教なのに、信仰の場ではなく、信仰形態の行事の場となっているように思う。