11/05/07 02:37:34.21
>>871
このスレを読んでいる人が他のスレを読んでいると言う可能性を
全く考慮していないところがランボーらしい
876:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 02:45:25.74
>>874
このスレに限らねえよ
他のスレ見ろ
だから気に入らないならさっさとランボーを通報してアク禁にしろよ
877:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 05:29:43.84
今の若い者には、大志を抱くという心構えが薄れているように思う。
昔は、子供でさえ将来自分はこうなって人々の為になるとか、大きな
望みを持っていた。
最近の若い人を見ていると、他人の成功を嫉み、引き摺り下ろそうとさえ考える
者が少なくない。
本来、西洋で物質文明が花開き、その大きな振り子が今度は東洋に向かい、
その頂点が日本ねあるはず。
故に、弘法大師に密教を託したとさえ考えられるのであるが、弘法大師が
密教に目覚めて修行に励んだ求聞持ですら、荒野での必須科目ではなく、
頂点に立つ者でさえ修法していないのが実情のようだ。
それでは、弘法大師の心ねを感じ取れないだけでなく、密教の本筋すら
途絶えてしまう。
密教は、机上の学問ではなく、実践の感応体得できる宗教なのだと考える。
かって私は、本に書いてある一行の書き込みにも疑問を生じると、高い交通費や
宿泊費さえ考えず、確かめる為に趣いた。
滝行の感覚や霊覚を感じ取る為、暗い中妻と滝に通い、マイナス16度と言う
厳しい環境にもめげず、氷を割って行をした。
私が行の前に、妻の背中に向って九字を切る。
その時、妻は背中に暑さを感じ脊髄が温まるのを感じたという。
心臓麻痺で妻を死なせるわけにはならぬ、その進退窮まる状態が、今の自分の持つ
法力の基礎となった。
密教は、命を掛ける値がある宗教と、私たち夫婦は思い、歩んできた。
「 久 ( ひさ ) しく 已 ( すで ) に仏道を行じて 神通智力に住せり 善く菩薩の道を学して
世間の法に染まざる こと 蓮華の水に 在 ( あ ) るが 如 ( ごと ) し」
全く世間の法に染まっていない、
それは泥水の中に在って清浄な華を咲かせる蓮華のようである
878:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 05:43:57.53
おはよう。
虚空蔵菩薩の真言、のうぼう~ は、脳内革命それもアルゴリズム(コンピューターに仕事を
させるときの手順で、人の考え方でも使う用語。)を合理的に組み替える為の刺激を脳内に
及ぼし、効果を出す方法で、記憶力が良くなる事とは異なります。
しかし、二次的に人によっては記憶力が良くなるように見える場合があります。
それは、合理的に物事を考える事が出来るようになり、試験勉強の場合などに無駄な勉強を
せずに他の人より早く覚えたように見えるのです。
その為には、虚空蔵菩薩の真言は最高で、私の寺に関わる檀信徒で学生や、法力を得たい
方々が熱心に真言を唱えています。
虚空蔵菩薩の真言ですが、霊場を廻った方の場合、おんありきゃまりぼり をきゃ~まりぼり
と伸ば宿世が付いている人が居ますが、伸ばすと脳内に対する刺激が極言して効果低下しま
すので、どこも伸ばさずに唱える事が必須です。
草を刈り取るのに、先に鎌を砥げ と昔人は云いますよ。
879:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 05:45:48.85
記憶が定かじゃないのですが、奈良の、ある聖天さんのお寺だったか、
虚空蔵さんもお祀りしていたところがありましたね。
880:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 06:25:28.00
>>877-878
長いんだよカス
881:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 09:25:18.81
前スレから軽く1000以上のレスが聖天と全く無関係な内容という現実。
882:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 10:18:46.67
ランボーさんに根本的な質問
・なぜスレと関係ない話をするんですか?
・みんなが嫌がっている事をなぜするの?
883:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 10:24:33.53
荒れてっから、マジレス希望しても無駄かも知れんが、
聖天さまは、人を選ぶ?
こいつは取るに足らないとか思われれば、ソッポ向かれる?
験はおろか、罰もないとか。
884:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 12:18:45.33
聖天さまや天部に限らず
験はないけど罰は確りとある
885:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 12:20:29.36
>>882
聖天様も仏様、仏様を拝むのが仏教、それを合理的に拝むのが密教。
書き込みの全ては、密教に繋がる。
関係ないと言う発言は、無知がなせる業。
皆とは、誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰と誰?
此処を見ている人の氏名、住所を書いたなら信用しよう。
886:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 13:21:44.85
屁理屈
キチガイ理論だね
887:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 13:50:55.07
何時何分何曜日?地球が何回まわった時?
888:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 14:08:08.92
キチガイは、あの赤ん坊
889:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 14:18:01.19
また今日もランボーをスルーできない馬鹿がスレを荒らしてるのか
890:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 15:27:58.72
本人じゃないならさっさとランボーを通報しろ
それからガタガタ言え
891:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 15:42:54.29
通報先おせえて
892:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 15:52:06.21
>>889
お前も間接的に釣られてるのに気付け
893:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 16:19:11.56
>>883
ま一応、こいつならちゃんと扱ってくれるかは選ぶだろうな
894:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 16:30:13.63
寺子屋ランボー法師 差別を作る道具 壱
高野山真言宗総合スレに書き始めたとき、そう赤地蔵事件の頃、郵便局の姉ちゃんがとか、
禮盤を汚した者への中傷とか、私から見れば仲間内でイビリあっていたように思う。
山内での若者同士のイビリがあることは以前から知っていたが、此処に名前まで出して、
それはもはやイビリではなく、虐めだった。
虐めについては、知り合いの息子さんが、高野山高校にいっていたが、虐めの為に転校を
余儀なくされ、また山内では、学生による写真や殺人事件が起きた。
本来、精神文化の殿堂で有らねばならぬ高野山山内で、学生がこのような事件を起こす、
考えられない現実に唖然とした。
しかし、高野山真言宗総合スレを見たときに、新米僧侶やその卵達の虐めの書き込みを
見たとき、当然の成り行きと思うようになった。
お大師様の足元で、このような実情を巷の人は知るよしも無い事だった。
私が加行した時は、師匠から言われているので食事は修行の終わった時間の夕食のみ
食す、というけなげな修行僧も居たが、時代の流れとともに、高野山の雰囲気は俗化の
道を加速して進んでいるように思えた。
そのような中、赤地蔵事件が起きたので、此処に一石を投じた。
今まで仲間同士でイビリ虐めあっていたのに、酉という汚れた核が来た事により、その周りに
今まで虐める側の者がその汚れた核の周りに集まり、雪の結晶を作っていった。
雪は一見大きく見えても、溶かすと体積は極減し汚れた水と化す、あたかも虚勢を張っていた
暴走族などの若者を単独にした時のように小さくなるのだ。
雪の核は、空気中のチリ言い換えればゴミを中心に少量の水が取り巻いただけのもの、
此処での若者のアンチ化した者と非常に似ている生態だ。
895:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/07 16:30:54.06
寺子屋ランボー法師 差別を作る道具 弐
これ等アンチ化した者の精神的根底には、潜在的に持つ不満を、何かのターゲットを見つけて
攻撃をする事で解消すると思い込み、愚かにもそれを実行している連中のようだ。
何時もながらのアンチの所業は、同じ教育を受けた者同士が、体験で得た私の考えと異なる為に
イビリをしていた連中が汚れた核を中心に集合してきているうだ。
これらの者達が、自分達と異なる考えや感覚に対して否定し、もはや勉強は他人を理解する為の
ものではなく、差別を作る道具になってきている。
本来心の殿堂である高野山で、このような若者が多く居ることは、嘆かわしく将来的にも密教の
発展は期待出来ない状態のように見える。
私が此処に書き込む事で、山内の同年輩同士の中傷誹謗虐めの書き込みがなくなった。
それはとりもなおさず、同年齢間の虐めを少なくしたという功績、しばらくは悪ガキを引き受けようか。
だが、それで問題は解決しない。
連日テレビなどで伝えられる某人の酒の上の乱行である。
どんなに大きな有名な寺に所属していても、因縁をキチンと捉えそれに適した供養や祈願が
なされていなければ、その因縁 それは本人の因縁と家系の因縁が絡み合いしてのしかかる。
その結果、酒を飲んでも心が紛れず、苛立ちの日々をおくり、酒の上とはいいながら他人に
暴言をはき、粗暴になり、周りから白い目で見られ酒乱として大きなリスクを負う事になる。
今の法律では、寺の責任は問えないが、宗教を志す者なら、大いに考えなくてはならない
ところだ。
アンチの連日の苛立ち隠せない誹謗の書き込みもまた然りで、霊界に対するプロが、もはや
職人意識も持てなくなり、ただのセレモニーの役者化しているところが問題なのだが。
学問さえあれば法力などはどうでもいいような発言をする僧侶がトップにいたのなら、
弘法大師の誓願は粉々に砕け散るのは、明らかな事だ。
”更に亦その報いを受けしめざれ。”