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ランボー法師の一考
以前彼岸流水灌頂蓮台引攝秘法平座理趣三昧永代供養会の表白に対してとやかく言ったとて、
それがどの様な上等な言い草であっても、結果が出なければ戯言と同じ価値、よもや各尊と
大日如来との関係が理解できていないと云うことなのか。
観光でソウルに行ったときの事だ、ホテルで、朝食は何にしますか?
と聞かれ、パンにハム挟みだ! と答えた。
しかし、ハムではなく沢庵でも良いのではないか、結果が美味しければ、密教も結果が
大事なんだ。
霊的影響を受けて自分の力では解決できないこのどくな人々を救うため冥府魔道を行く
わたしにとって、最善の策がこの方法であり、障らねばならぬ霊達にとっても最善の方法、
入り口は地蔵菩薩であっても、大日如来はじめ多くの尊のお力添えを頂き、流水灌頂の
その効果を最大限に引き出している。
確かにわたしの表白は都合の良いところの継ぎはぎだらけのパッチワークだが、
パッチワークも社会に認められた立派なものなのだ。
大山師の書籍に載っている表白を利用したからとて、それが大山のをパクってるってことに
どうしてなるのか、加行の時に渡された資料を自分流に使う事がパクリなのか、それらの
専門書は利用して構わないから発行されているもの、考え方が非常におぞましいアンチの
論法に、これが僧侶かとただただ驚くだけなのだが。