11/09/15 22:50:27.07
>>869
成田山のホームページより
光輪閣の裏手にひっそりと佇む出世稲荷。御本尊は、江戸時代成田山を篤く信仰した
佐倉藩主・稲葉丹後守が寄進されたもので、商売繁昌・開運成就・火伏せのご利益が
あると伝えられており、古くから「出世稲荷」の呼び名で親しまれていまれている
成田山新勝寺の公式見解としては、出世稲荷の本尊は稲葉丹後守が寄進した稲荷明神尊像。
稲葉丹後守が寄進したのは老翁稲荷だから、出世稲荷の本尊はこちらではないのかな。
>神仏分離の際までは何と呼ばれていた?
上記より「出世稲荷明神」などと呼ばれていたのだろう。
ここからは推測だが、明治の神仏分離対応の為にダキニ天を
本尊として勧請し老翁稲荷を客仏としたので、成田山側の意識
の底には老翁稲荷が本尊という思いがあるのではないか。