11/04/07 08:01:56.31
>>106
それは他所のスレでも書いたんだが、明治維新と大きな関係があるんよ。
神仏分離とはまた別の話。
明治政府と当時の文化人は西洋文化の導入にひたすら一生懸命になっていく過程で、東洋的なもの江戸を始めとする過去の文化を旧陋なる悪弊として排撃否定する傾向を帯びた。
そのため折角政府に食い込んだ国学者も明治十年代を過ぎる頃にはあらかた政府中枢から居なくなってしまう。
この旧文化排斥の流れは一般にも教育や西洋文化の紹介に伴い普及し、新時代に相応しい在り方を提示する事と認識された。
当時の所謂稲荷信仰はシャーマニズムである稲荷下げ(霊媒)とほぼ一体であり、特に関東・関西都市圏では市井の拝み屋と同義の存在として当たり前にあった。
西洋科学文化とこれらが共存出来る筈もなく、新時代人とあろうとする大人も学校で教育を受けてきた世代とどんどんそんな存在は時代遅れの迷信として嫌われていった。
現在の新興宗教は良くも悪くもこの時代の雰囲気を受けて生まれているので、自己の信仰を正当なもの迷信でないものとする為には
稲荷下げ的存在と同一視されては布教の妨げ以外の何者でもなかった。
それ故稲荷下げと一体であった稲荷信仰もまた、新興宗教として格差を付ける為にはどうしても排斥しなくてはならない前提となった。
現今の新新宗教の教祖も多くは先行する新興宗教の影響下にあるので、稲荷信仰の排撃は自己の信仰が迷信でない事を明示するには必要な事になってる訳。