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寺子屋 ランボー法師 読経と供養 その3
供養での読経は徳積みの読経とは異なって、法力がなければ効果が上がらないのが現実
なのです。
供養は仏様の介在があって成り立つもので、仏様が供養に対して能動的に動かれて初めて
成仏に向うのであって、亡者がお経を聞いて成仏するのではないからです。
言い変えれば仏様のステージから成仏していない亡者のステージまで来て頂き直に教化して
頂く事により亡者を成仏に向わせるのです。
よく大日如来は降臨されないとか聞きますが、それは僧侶側に法力がないから降臨出来ない
のであって言い換えれば、レッドカーペットを貴賓が歩んで来る状態を考えた時、その
レッドカーペットを敷きこむ体力が無くて敷くことが出来ず、貴賓が立ち止まっている状態なのです。
仏様が動かれてはじめて供養が進むのですから、法力の無い僧侶の読経では供養にはなら
無いと言う事になります。
また仏様にどう動いていただくかも問題なのです。
そのキーワードは経典に有ります。
いまの供養法が確立する前に時間対効果を手探りで試した。
最後の候補に挙がった方法は2つ、どちらを選ぶか、1年がかりで行った。
1、般若心経+観音経+舎利禮+諸真言
2、般若理趣経+佛頂尊勝陀羅尼+舎利禮+諸真言
結果、1番目は効果を感じにくく、2番目ははっきりと其の効果を感じ取れたのである。
この結果、当然ながら 2、般若理趣経+佛頂尊勝陀羅尼+舎利禮+諸真言を骨格として普段
の檀家のお参り(月参り)として使うことになった。
一尊だけでは教化しきれず、我々の学校教育と同じく、それぞれのレベルにあった内容の教化が
必要になるのです。
般若心経は重宝されるお経ですが、亡者の供養には効果が少ないのです。
其の点般若理趣経は亡者の供養には超適しており、経文の中でも人の持つ悩みの有り様を
認め、金剛手菩薩よ で始まるこの下りが大好きで、(金剛手 若有聞此 本初 般若理趣
日日晨朝 或誦或聽 彼獲一切 安樂悅意 大樂金剛 不安三昧 究竟悉地 現世 獲得一切
法自在悅樂 以十六大菩薩生 得於如來 執金剛位) この経文以外に納得できる経文に
接した事が無い。
次回は考察Matrix?