11/09/29 18:06:32.33
ランボー法師の説教部屋
>>818
スーパーポイポイあじゃりと言うのはよく分かりませんが、振られたので答えておきましょう。
憑依霊を滝で払うのは、はなから無理な話、それなりの修行をして身についている者なら
容易に分かる話です。
霊が憑依するのは何時かは判断がつきません。
なぜなら、憑依する霊の考えによるからです。
1.憑依する霊の動機は、供養を欲して憑依して知らせるため。
2.いたずらが目的の愉快犯、繁華街で若い娘に声をかけるよからぬ若者みたいな霊。
3.依頼されて、嫌がらせやダメージを目的とした霊で、よからぬ組織の上層部からの指示で
動く殺し屋(ドラマの)みたいな連中。
1.が圧倒的に多く供養で守れるが、、2.はお守りを携帯している場合非常に少なく、
3.はどこかの悪い癖の拝み屋に指示された祭祀された心霊の眷族などがいて、これも被害者
側からは日時を予測しにくいのが普通です。
除霊をすれば、その時は居なくなるも、また来ない保障はありません。
繁華街で悪さをする者を警察が追い散らしても、警察が居なくなれば又悪さをしに出てきます。
解決方法は、先祖霊のように供養を欲するなら供養をすればすむことですが、2.の場合も
そうですが、それらの霊を改心させ、悪いことができないように霊格を上げてやるしか方法はなく、
仏様に依頼して時間をかけて教化するしか方法はありません。
生霊については、つど払うか、被害者が霊的に強くなるしか方法はありません。
巷(本山を含む)の寺の僧侶の認識がなく、故に修行が乏しく、全体的に見れば、もはや密教は
あるとはいえない状態で、古くは覚鑁上人がそれを嘆くも、怠け者僧侶に命まで狙われ、高野山を
去った話は有名です。
この事件の直前覚鑁上人は長きにわたる無言行を修し、その後密厳院発露懺悔文を書いたのだ。
それは堕落した僧侶の現状に恥じる内容で、自覚を促す文として知られている。
”更に亦その報いを受けしめざれ。”