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寺子屋ランボー法師 智恵で考える
私はかって仏教はお釈迦様がお開きになったと思っていましたが、違ってきました。
それまでは、人が修行すると佛さん になれ ると思っていました。
大日如来と釈迦如来のお二人のある時のお話しを要約すると次のようになります。
「今からおよそ二千五百年前、釈迦如来は大日如来の命を受けて、インドのシャカ王子として
人間に生まれ、如来の法力を一切使わず、人間の技量だけで、仏を認識する方法を見いだし、
それを人間に広めるように。」 と言う ものでした。
結婚し、子供ができ、人は生・老・病・死の苦を観たり体験した後、人間ブッタのプログラムが
開いた、そして使命を達成し霊界に戻ったのです。
即ち人間が修行し悟りを得て釈迦如来となったのではなく、 シャカ王子になる前から釈迦如来
だったのです。
この事は以前書いた、大日如来の「相談者の先祖が仏であるならば、すでに成仏しているので
あるから、供養の必要もないし、障りをおこすこともない。
人間の霊は、仏でないのだから、そのような間違った言葉を使わぬように。」というお言葉でも
うなずけ、死んだら皆仏になるという のは大きな間違いと思える。
この事は私の今までの考えを大きく変えた。
そして仏教を学者のように、難しく考えるのではなく、いかにしたら大勢の人が救われるのか、
簡潔な方法を見つけることだと考えるようになりました。
そして試行錯誤をしています。
開眼した仏像の仏様は開眼した僧侶のところの仏様の分身である。
そして、その僧侶が仏様を拝めば拝むほど、大き な力をだしてくださる