11/01/29 23:59:11
>>256
(釈迦仏法の)菩薩が人を救えるか救えないかで差別するということは、釈迦仏法の菩薩の基本である四弘誓願に反することになるぞ。
あるいは、その菩薩の修行している法が不完全なものということになる。
つまり、
A:十八願の内容は、菩薩にあるまじき行為といえる。
したがって、法蔵菩薩は仏になることはできなかった。
B:あるいは、法蔵菩薩が48願を貫いた結果阿弥陀仏になることができたというなら、阿弥陀仏及び所持している法そのものが不完全ということになる。
(もちろん、これは浄土三部経の思想上(考え方)そういうことになるというだけで、元々地球上には阿弥陀仏は存在しない。)