11/01/29 15:50:30
>>252
>>大聖人の仏法を根本にした場合、世の中の他の思想はすべてこの仏法の
>>部分的説明書となりうる。
は、興門派では、ごく当たり前の教学。
その証拠に、御書にはたくさんの経典の内容が引用されている。
もし興味があるなら、「文底下種三段 流通分」でググることを勧める。
>>251
> つまり日蓮御書以外は「捨閉閣抛」でしょう。
違う。
優先順位(何を根本にするか)の問題だ。
他の経典思想の優劣は、すべて御書を基準に判断するということであり、他の経典思想を捨てるわけではない。
(御書には、他の主要な経典については、正しい部分は採用する/捨てるべき部分は捨てる、その理由も明確にある。)
もし興味があるなら、「相待妙 絶待妙」でググることを勧める。
法然の捨閉閣抛は、文字通り浄土三部経以外を捨てること。
自分達に役に立たないから採用しない=その教えは自分にとって真実ではないから捨てる。
法華経を捨てるということは、
・(五逆罪を犯した)悪人、女人、二乗成仏を認めない。(法華経では認める。)
・五逆罪を犯した者・仏の正しい教えを謗るものは、極楽浄土に生まれ変わらなくても(つまり成仏できなくても)関知しない。(弥陀の誓願十八)
となり、人間を成仏できる者とできない者に分けて差別することになる。