11/01/29 00:15:21
>>243
> ホント? 理論的に理解したということでは。
例。
六波羅蜜の中の忍辱波羅蜜は耐え忍ぶことだが、布教(折伏)する場合は大抵これが必要になる。
他も信仰活動の中で出てくる。
ただし、持戒波羅蜜については、五逆罪等を除けば余り該当しない。
「読・誦・解説・書写」では、書写を除けば普段の信仰活動そのもの。
ただし、法華経すべてを読誦するわけではないし(方便品・寿量品のみ)、必要がない限り法華経のすべてを解説することもない。
> 興門派さんが釈迦法華経を謗っていない・不信に入らないといえるかどうか。
我々は、釈尊の法華経を信じているわけではない。
大聖人の仏法を根本にした場合、釈迦仏法では妙法蓮華経が一番近いからいわば参考書として利用しているといえる。
また、念仏云云は釈迦仏法の範疇の中で比べたものである。
諸経の王とされる妙法蓮華経から見れば、法然の念仏は堕地獄の因…となる。
一方、興門派は大聖人の仏法>妙法蓮華経という立場だから、妙法蓮華経のここが違うあそこが違うという主張は当然する。
そういう意味では不信という言い方ができるが、妙法蓮華経より優れた仏法を信じているので、問題ない。