11/01/28 13:58:08
>>237
興門派と名乗っておく。
> 題目専信で難行苦行の修行を否定したのではおかしいですね。
おかしくはない。
釈尊が悟った(仏陀になった)きっかけも、悟ること(仏陀)に対して苦行は無意味と悟ったことだ。(紛らわしいが意味は分かると思う。)
妙法蓮華経の修行法は、「受持・読・誦・解説・書写」だが、大聖人の仏法は受持(この信心を受ける、信心を保ち続ける)が観心である。
また、所謂六波羅蜜にも、現在在家生活を送るものにとっては不可能な修行法が含まれている。
なお、題目専信と書かれているようだが、そうではない。
大聖人の仏法を修業していると、黙っていても「読・誦・解説・書写」や六波羅蜜の中身のかなりの部分を経験することになる。