11/01/28 06:31:45
>>234
我また、これかのもろもろの経論を信ぜざるにはあらず。ことごとく皆仰信す。
しかるに仏、かの経を説きたまふ時は、処別に、時別に、対機別に、利益別なり。
と持ち出したら、詭弁に聞こえるか。
「役に立たないもの」として否定したのではなく、機を考え不要ということか
法然門下で念仏を信じつつ行じ、法華経も又信じつつ共に行じると
いうのは無理でしょう。
念仏のみにいそしみなさいというもの。
逆に法華経を信じつつ行じ、念仏も又信じつつ共に行じると
いうのは「有り」なのかというところ。
因みに日蓮聖人の場合は、法華経は末法なれば捨て置き「南無妙法蓮華経」を
信じる中で行じなさいという思想なはず。
念仏も無間、また題目も無間。