11/01/02 01:20:09
>>574
>釈尊なら、小乗・大乗等の違いで、劣応身・勝応身・始成・久成などの肩書が付く。
こう書いてあったから、南伝(いわゆる小乗)にどこに書いてあるかと聞いたんですよ。
さらに言えば、劣応身は天台の分類である、つまり南伝にはない、と言うことをここでも貴方は認めたわけでしょう。
はじめそちら側の混乱から始まったことを>>592において
>もっと、始成正覚と久遠実成をよく学ぶべきだな
と言う風に反論するのは筋違いですよ。久遠実成というのが法華の重要なテーゼであることは当たり前でしょう。
もっとも、これはそちらが謝罪してますから、そちらも間違いと認めてくれれば終わりですが。
>>617
法華経第一なら、法体は円教だってありえますね。
必ずしも五字七字をもって法体とする必要はないですね。
また、これは教判の相違も視野に入れると、貴方では五字七字、他者では必ずしもそうではない、と言うことですね。
そうなると、貴方が法華最勝を立てるのはいいが、他教を批判するのは筋違いとなりますね。
>>619
>つまり、ありとあらゆる仏は自分であると宣言する。
>釈尊が常住しているのは娑婆世界。
>法華経を第一として各経典を読むなら、ありとあらゆる国土は皆娑婆世界で、その仏はみな自分(の分身)。
じゃあ念仏しようと不動で護摩供修しようと善い訳ですな。みんな釈迦だと解ってればいいんだから。
この理屈だと必ずしも五字七字を立てる必要がなくなりますよ。
もっとも、教判が違えば違うと言うことを認めてらっしゃるから、私もそっちの考えもありとは思いますが、逆に言えばこっちの考えも認めてくださると言うことですね。