11/01/01 18:25:24
>>571
> それを言ったら南伝には「久遠実成の釈迦」は居ないし、
例えば、上座部・大衆部に分かれる前から存在が確定している仏なら、(立場・肩書きが違っても)両方に名前が見えるということ。
釈尊なら、小乗・大乗等の違いで、劣応身・勝応身・始成・久成などの肩書が付く。
釈尊の各経典は、仏弟子たちが釈尊の教えの部分論をそれぞれ発展させたものと捉えるべき。
(釈尊が直に残した経典は、但の一つもないわけだからな。)
正しいところもあれば、明らかな間違い・矛盾も存在する。
しかし、釈尊の真意を最もよく伝える経典を思索によって決定すれば、トータルで整合が取れる。
これが、多くの宗で採用している教相判釈(教判)。
(当時、すべての経典が釈尊の直説と思われていたから教判は必要不可欠の作業。)