11/09/04 20:41:29.54
>>55
景行天皇紀では、九州北部で討伐した異民族名は、鼻垂・耳垂の後は以下です。
「鼻垂・・・耳垂・・・麻剥・・・土折猪折・・・青・・・白・・・打猿・・・」
通覧すれば鼻垂・耳垂だけ蔑称というのは、合点がいきません。
鼻垂・耳垂は、外見の特徴を捉えた名前===アフリカの某部族のように、
鼻輪鼻飾り・耳飾りで装身した部族だったのでは?
縄文人・弥生人ともに、西洋人と違い耳輪・指輪等の装身具には無関心でしたから、
別系統の部族だったのでしょうか?
57:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/08 22:26:58.79
宇佐八幡宮
古代渡来系氏族秦氏が建造した神社で、秦氏の神である3つの八幡神(ヤハタ)を祀っていた。
58:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/09 12:13:06.73
>>57
秦氏が創祀したのは、豊前国田河郡の辛国息長大姫大目神社だろ?
59:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/10 23:26:10.07
初めて宇佐神宮にお参りさせていただいて感激した!
やはり八幡さまの総本宮! 「厳か」の一言に尽きる。チャラチャラしてない。
60:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/18 21:02:32.63
>>56
この敵対した耳垂族ですね。
耳垂の話 URLリンク(www.dai3gen.net)
61:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/20 20:55:05.51
>>57
豊前国綾幡郷(築上郡築上町)の矢幡八幡宮が八幡社発祥地というからには、
八幡=綾幡=安耶秦即ち秦氏の祭神なのかな?
62:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/20 21:25:50.94
八幡神社と稲荷神社といえば、日本の隅々まで勧請されてる神社だし、
真言密教は日本仏教に大きな影響を与えた。これらに全部秦氏が関わってる。
さらに秦河勝は、644年に駿河国富士川周辺で、大生部多を中心とした
「常世神」を崇める集団(宗教)を追討したともいう。
秦氏は日本最古の財閥と云われているけど、どうやら日本の霊的ネットワークにも
深く関わっているようだね。今も秦氏の子孫は、神社の社家として生き残ってるのかな?