11/07/29 16:07:08.27
>>45
明治時代以前には、朝廷は伊勢神宮には参詣せずとも宇佐神宮に参詣した歴史が
あるということは、天皇家の宗廟は伊勢でなく、宇佐ということか?
天皇家の始祖は、天照大神でなく北部九州出身とみられる応神と認識されていた?
52:名無しさん@京都板じゃないよ
11/07/29 16:19:32.29
>>51
宝賀寿男氏によれば、応神は、宇佐国造氏の祖でもある建緒組命の後裔で、
崇神系の女の婿になり、王権を簒奪し王位に就いたのは、AD390年頃らしい。
53:名無しさん@京都板じゃないよ
11/07/31 22:34:58.69
ご分霊/ご文祠の石清水八幡宮が二所宗廟と言われる所以は・・・?
八幡の八は出雲大倭王権の証とか。(島根県だけでなく最大版図は九州~東日本にまで及ぶ広大な領域)
主神の八は出雲(大倭)の氏神で我が国の始祖王~最高神を暗示?。(ケチョンケチョンにこき下ろされたのに「尊」と尊称されるあの御方?)
武神と言われる所以も八千矛神(八が付く)とも言われるあの御方からかと。
八幡は数多の旗=大軍団を表し、それらを統率したと言う事かと。
中世、全国の延喜式の由緒ある古社、大社を押しのけ、すり替え、遷座さしてその土地の最高の風水の場所に後から坐してもお咎めの無い不可解な裏事情を勘ぐれば最高神、始祖神ゆえか?
54:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/02 14:58:36.63
>>24
紀景行天皇段の記す熊襲征討途中に平定したとかいう豊地方駅館川・山国川の上流域の
残賊鼻垂族・耳垂族というのは、ツチグモと蔑視表現されているから竪穴式住居に
棲息した縄文系原住民だったのかな?
『残賊あり。一を鼻垂と曰ふ・・・・菟狭の川上に屯結めり。二を耳垂と曰ふ・・・・是れ、
御木の川上に居る。・・・』(日本書紀、景行天皇紀)・・・・・・
豊前平野・歴史散歩 (復刻版)
URLリンク(www.geocities.jp)
55:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/02 18:54:56.01
鼻垂・・・ハナタレ・・・ハタレ=穢れたモノと言う蔑称の一つ。
鼻水を垂らす、耳から膿を垂らす。などをイメージ・・・汚くみすぼらしい者の蔑称に外ならず。
鼻垂・・・ハナ足彦?
耳垂・・・ミミ足彦?
56:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/04 20:41:29.54
>>55
景行天皇紀では、九州北部で討伐した異民族名は、鼻垂・耳垂の後は以下です。
「鼻垂・・・耳垂・・・麻剥・・・土折猪折・・・青・・・白・・・打猿・・・」
通覧すれば鼻垂・耳垂だけ蔑称というのは、合点がいきません。
鼻垂・耳垂は、外見の特徴を捉えた名前===アフリカの某部族のように、
鼻輪鼻飾り・耳飾りで装身した部族だったのでは?
縄文人・弥生人ともに、西洋人と違い耳輪・指輪等の装身具には無関心でしたから、
別系統の部族だったのでしょうか?
57:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/08 22:26:58.79
宇佐八幡宮
古代渡来系氏族秦氏が建造した神社で、秦氏の神である3つの八幡神(ヤハタ)を祀っていた。
58:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/09 12:13:06.73
>>57
秦氏が創祀したのは、豊前国田河郡の辛国息長大姫大目神社だろ?
59:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/10 23:26:10.07
初めて宇佐神宮にお参りさせていただいて感激した!
やはり八幡さまの総本宮! 「厳か」の一言に尽きる。チャラチャラしてない。
60:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/18 21:02:32.63
>>56
この敵対した耳垂族ですね。
耳垂の話 URLリンク(www.dai3gen.net)
61:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/20 20:55:05.51
>>57
豊前国綾幡郷(築上郡築上町)の矢幡八幡宮が八幡社発祥地というからには、
八幡=綾幡=安耶秦即ち秦氏の祭神なのかな?
62:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/20 21:25:50.94
八幡神社と稲荷神社といえば、日本の隅々まで勧請されてる神社だし、
真言密教は日本仏教に大きな影響を与えた。これらに全部秦氏が関わってる。
さらに秦河勝は、644年に駿河国富士川周辺で、大生部多を中心とした
「常世神」を崇める集団(宗教)を追討したともいう。
秦氏は日本最古の財閥と云われているけど、どうやら日本の霊的ネットワークにも
深く関わっているようだね。今も秦氏の子孫は、神社の社家として生き残ってるのかな?