11/01/16 10:52:30
秦氏やるじゃん
24:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/16 12:12:44
>>10
魏志の記す卑弥呼は、紀景行天皇段の記す豊前の地京都郡の女酋長「神夏磯媛」か?
URLリンク(www.geocities.jp)
25:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/16 23:25:44
なんで歴史かたるやつは、こういう説がある~じゃなくて
~なんだよ。
と断定なんだろうねw
証拠もなにもなかろうに。
26:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/23 06:01:53
>>22
中世以前の社家主流大神氏の出所は、何所?
27:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/23 21:12:46
到津さんが宮司でない宇佐なんて、鰯水と同じレベルのウンコタレだ
28:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/28 07:44:44
>>22
宇佐国造氏は、須佐之男の後裔なの?
79 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/25(火) 23:37:16
・・・八幡神は須佐之男命(八千矛大神?)と応神天皇のコラボレーションではないか?と言う向きも
宇佐の地が須佐之男命の九州経営の拠点(行宮)だったとも・・・・
神道の謎
スレリンク(kyoto板:79番)
29:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/29 18:37:45
>>26
大神氏の初代大神比義は、大和国大神神社社家出身だったと思う。
30:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/30 11:41:01
>>23
傀儡の徒が信奉すると聞く百太夫神社は、宇佐宮の近所なのでしょうか?
31:名無しさん@京都板じゃないよ
11/01/30 13:30:58
>>30
まつろわず征伐された隼人族の慰霊のため造立された百太夫殿の後身とされる
『百体神社』のことでしたら、勅使街道沿いにありますね。
32:名無しさん@京都板じゃないよ
11/02/07 21:06:17
>>31
720年の大隈隼人叛乱征伐戦では、豊後国からの討伐軍により隼人族が1400余人も
成敗されたらしいですね。そして、その慰霊行事が宇佐社の放生会の始原らしい。
坂上田村麻呂による東北蝦夷殺戮と同様の異民族征討が九州でもあったのですね。
33:名無しさん@京都板じゃないよ
11/02/13 19:23:52
>>12
秦氏は、4世紀後半から5世紀にかけて、加羅・伽耶地方から日本列島に
渡海渡来してきた人々の総称だよ。擬似的な血縁氏族だよ。
34:名無しさん@京都板じゃないよ
11/03/08 19:12:44.00
また行きたい
35:名無しさん@京都板じゃないよ
11/03/18 08:01:00.71
>>32
成敗された隼人族から切り取られた耳だか鼻だかを集めて埋めた塚は、
市内の何処でしたっっけ?討伐軍って、野蛮獰猛な集団だったんやな。
36:名無しさん@京都板じゃないよ
11/03/18 08:08:42.22
ウサギ・・・宇佐伎・・・宇佐の男・・・宇佐に坐す大王?
37:名無しさん@京都板じゃないよ
11/03/25 11:43:54.69
>>36
古事記の記す「稲羽の素兎」こと兎神のことですね。彼は隠岐島在住なので、
宇佐君氏とは無縁でしょうね?
”稲羽の素兎と表記されています。私の考えでは、兎すなわちウサギは「うさ・ぎ」と
分解します。「うさ」は宇佐です。「ぎ」は神という意味・・・・”
八俣の大蛇と稲羽の素兎
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
38:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/03 20:08:46.19
素兎・・・すうさ・ぎ・・・すさ・ぎ・・・須佐之男命?!
39:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/07 04:08:17.88
>>2
境内の墓は、卑弥呼を葬った古墳なの?御祭神のオキナガタラシヒメでなく?
180 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/06(水) 10:34:05.17
>>176
・・・宇佐八幡にも境内か近隣に古墳らしきものがあったのではなかったか?
諸国一宮
スレリンク(kyoto板:176-180番)
40:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/07 08:48:21.04
卑弥呼は中国人が日本使節から聞いた女王『ヒミコ」=(日御子、日皇女、日巫女、日霊女)に差別的表現の卑字を充てた表記。
ヒミコは個人名では無く、(大王や天皇などと同様に)その特別な地位を表す一般名詞。
ナノで、ヒミコは複数坐す。
41:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/09 21:49:42.17
>>24
豊前国の前身豊国発祥の地は、現在の福岡県行橋市の長峡(ながお)川流域で
あっていますか?
豊国国造宇那足尼の本拠地が、あった筈なのですが。
42:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/09 23:14:55.38
2011年04月09日
日本再生
地球創世の時、神ははじめに山と海を創られたり。
なれば山も海も神の御意図篭められたる必要不可欠なものなり。
今、山も海も元ある姿にあらず。
人間の我欲と知恵は地形さえも変えんとす。
地形には意味あり。役割あり。
本来自然は人を守り育まん。
なれど姿変えられし土地にては人を守れず。
日本は世界の要なり。
今、あるべき姿に戻りて役割果たさんと活動せん。
さなる時代に生を受けること、そもまた宿命なり。
人も元ある姿を今こそ取り戻さねばならぬ。
日本は美しき国なり。
日本民族は神に最も近しき民族ならん。
その誇りと団結力を今取り戻すべけれ。
--------------------------------------------------------------------------------
43:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/10 14:01:59.78
>>41
国前臣氏の祖とされる国前国造菟名手と同一人物と言われる宇那足尼ですね?
宇那足尼は、宇佐国造宇佐氏の始祖宇佐津彦とも同族なのかな?
44:名無しさん@京都板じゃないよ
11/04/17 10:10:15.05
>>40
>ヒミコは個人名では無く・・・・一般名詞・・・・
籠神社社家海部氏系図に初代天香語山命9世孫に「日女命」の名があります。
ヒミコ[日巫女]は、人名にも使われておりますね。
籠名神宮祝部氏系図 URLリンク(www2.plala.or.jp)
45:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/28 13:19:02.55
>>43
宇佐氏の祖が宇佐津彦で、辛島氏の祖が宇豆彦?
29 : 名無しさん@chs 2008/08/16(土) 08:04:02 ID:0+YhIfd+
宇佐の祭祀を司った辛島氏の系譜によれば、素盞嗚尊ー五十猛命ーの末端に
宇豆彦が出て・・・・
和珥氏:海人族
URLリンク(www1.atchs.jp)
46:名無しさん@京都板じゃないよ
11/05/28 21:03:05.39
一説に(脳内妄想)・・・
紀元前一~二世紀頃、朝鮮半島の根元の小国、弗琉国(・・・韓流時代劇の朱蒙と同時代)の亡国の王族、父君フツ(布津御魂大神)と共に戦乱を避けて亡命、西出雲に渡来し周囲から慕われやがて近隣を従えて国を建て、
全国統一の大業に就いた大倭国初代大王(我が国の始祖王)。フツシ(布津斯御魂大神)=須佐之男命の九州経営の行宮跡。
ここから横路(脳内妄想は広がって)・・・
また、伊予一宮。大山祇神社は須佐之男命の瀬戸内海地方経営の行宮跡とか。
(大山祇神社の祝家=宮司家は須佐之男命の子孫を名乗り、その長大な家系図を公開)
・・・・・・・・・・
筑紫にも行宮が有った模様。
ひょっとしたら遥の朝廷(とおのみかど)と言われた大宰府や筥崎宮などの辺りかも
時代がやや下って、ここから須佐之男命と奇稲田比売命の三男。大歳命=ニギハヤヒ大王が父君の遺命を奉じて全国統一の大業の途につき、
宇佐で軍船兵馬を整え、いよいよ瀬戸内海に大挙して繰り出して東征を開始。
・・・伊予(道後温泉はこの過程でハケン!)
―讃岐の事平(琴平/金比羅宮は近畿攻略の前哨基地と四国瀬戸内一円を経営の行宮)
―播磨(生石神社(石宝殿)、播磨一宮、伊和神社(行宮?)。播磨は大歳神社が大変多い土地柄)
―摂津(有馬温泉もハケン!)
―やっと河内国入りし最後の根回しも完了して
いよいよ斑鳩岳を越えて念願の葦原中国=日の本国に東遷座。在地の豪族達を従えて日の本国大王に即位し大歳改め、ニギハヤヒ大王と号す。
崩御の後、三室山(=三輪山)を稜所として磐座を建て、
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命の最大最高級の尊崇を表す神号を追号。
古語(朝鮮古語)でナラとは大きな国を表す言葉だとか。
47:名無しさん@京都板じゃないよ
11/06/11 17:32:24.44
>>46
>紀元前一~二世紀頃・・・・戦乱を避けて亡命、西出雲に渡来・・・・・
BC1~AD2Cの大陸極東地域の戦乱とは、何?北方遊牧民の南進ですか?
凶作のための食料争奪騒乱ですか?
48:名無しさん@京都板じゃないよ
11/06/30 06:41:31.50
>>46
>宇佐で軍船兵馬を整え、いよいよ瀬戸内海に大挙して繰り出し・・・・・・
宇佐って、古代では近畿と九州との交通の要地だったの?
ニギハヤヒを首領とする筑紫の八十物部たちは、船体をどこから調達したの?
宇佐近辺に、船材木材の産地や船大工の邑なんてあったっけ?
49: 忍法帖【Lv=4,xxxP】
11/06/30 06:52:10.37
あ
50:名無しさん@京都板じゃないよ
11/06/30 07:02:51.01
q
51:名無しさん@京都板じゃないよ
11/07/29 16:07:08.27
>>45
明治時代以前には、朝廷は伊勢神宮には参詣せずとも宇佐神宮に参詣した歴史が
あるということは、天皇家の宗廟は伊勢でなく、宇佐ということか?
天皇家の始祖は、天照大神でなく北部九州出身とみられる応神と認識されていた?
52:名無しさん@京都板じゃないよ
11/07/29 16:19:32.29
>>51
宝賀寿男氏によれば、応神は、宇佐国造氏の祖でもある建緒組命の後裔で、
崇神系の女の婿になり、王権を簒奪し王位に就いたのは、AD390年頃らしい。
53:名無しさん@京都板じゃないよ
11/07/31 22:34:58.69
ご分霊/ご文祠の石清水八幡宮が二所宗廟と言われる所以は・・・?
八幡の八は出雲大倭王権の証とか。(島根県だけでなく最大版図は九州~東日本にまで及ぶ広大な領域)
主神の八は出雲(大倭)の氏神で我が国の始祖王~最高神を暗示?。(ケチョンケチョンにこき下ろされたのに「尊」と尊称されるあの御方?)
武神と言われる所以も八千矛神(八が付く)とも言われるあの御方からかと。
八幡は数多の旗=大軍団を表し、それらを統率したと言う事かと。
中世、全国の延喜式の由緒ある古社、大社を押しのけ、すり替え、遷座さしてその土地の最高の風水の場所に後から坐してもお咎めの無い不可解な裏事情を勘ぐれば最高神、始祖神ゆえか?
54:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/02 14:58:36.63
>>24
紀景行天皇段の記す熊襲征討途中に平定したとかいう豊地方駅館川・山国川の上流域の
残賊鼻垂族・耳垂族というのは、ツチグモと蔑視表現されているから竪穴式住居に
棲息した縄文系原住民だったのかな?
『残賊あり。一を鼻垂と曰ふ・・・・菟狭の川上に屯結めり。二を耳垂と曰ふ・・・・是れ、
御木の川上に居る。・・・』(日本書紀、景行天皇紀)・・・・・・
豊前平野・歴史散歩 (復刻版)
URLリンク(www.geocities.jp)
55:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/02 18:54:56.01
鼻垂・・・ハナタレ・・・ハタレ=穢れたモノと言う蔑称の一つ。
鼻水を垂らす、耳から膿を垂らす。などをイメージ・・・汚くみすぼらしい者の蔑称に外ならず。
鼻垂・・・ハナ足彦?
耳垂・・・ミミ足彦?
56:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/04 20:41:29.54
>>55
景行天皇紀では、九州北部で討伐した異民族名は、鼻垂・耳垂の後は以下です。
「鼻垂・・・耳垂・・・麻剥・・・土折猪折・・・青・・・白・・・打猿・・・」
通覧すれば鼻垂・耳垂だけ蔑称というのは、合点がいきません。
鼻垂・耳垂は、外見の特徴を捉えた名前===アフリカの某部族のように、
鼻輪鼻飾り・耳飾りで装身した部族だったのでは?
縄文人・弥生人ともに、西洋人と違い耳輪・指輪等の装身具には無関心でしたから、
別系統の部族だったのでしょうか?
57:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/08 22:26:58.79
宇佐八幡宮
古代渡来系氏族秦氏が建造した神社で、秦氏の神である3つの八幡神(ヤハタ)を祀っていた。
58:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/09 12:13:06.73
>>57
秦氏が創祀したのは、豊前国田河郡の辛国息長大姫大目神社だろ?
59:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/10 23:26:10.07
初めて宇佐神宮にお参りさせていただいて感激した!
やはり八幡さまの総本宮! 「厳か」の一言に尽きる。チャラチャラしてない。
60:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/18 21:02:32.63
>>56
この敵対した耳垂族ですね。
耳垂の話 URLリンク(www.dai3gen.net)
61:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/20 20:55:05.51
>>57
豊前国綾幡郷(築上郡築上町)の矢幡八幡宮が八幡社発祥地というからには、
八幡=綾幡=安耶秦即ち秦氏の祭神なのかな?
62:名無しさん@京都板じゃないよ
11/09/20 21:25:50.94
八幡神社と稲荷神社といえば、日本の隅々まで勧請されてる神社だし、
真言密教は日本仏教に大きな影響を与えた。これらに全部秦氏が関わってる。
さらに秦河勝は、644年に駿河国富士川周辺で、大生部多を中心とした
「常世神」を崇める集団(宗教)を追討したともいう。
秦氏は日本最古の財閥と云われているけど、どうやら日本の霊的ネットワークにも
深く関わっているようだね。今も秦氏の子孫は、神社の社家として生き残ってるのかな?