11/02/09 20:01:37
前項で覗えるように空海師は経を包括的に取り込み、その解釈により個々の句が表すものが
異なってくると云っているようで、人それぞれの身丈に合った解釈もありうると述べているよう
に思われる。
超簡単に表現すると、例えば赤ちゃんの足と大人の足では使い方が異なる。
赤ちゃんは、這い這いする為に脛を床につけて這ってあるく。
大人は足の裏を床につけ赤ちゃんの何倍もの歩幅で歩く。
その時、手を考えた時、赤ちゃんの手は上体を支えるために使用し、大人の手は歩行時の
重心のバランスをとるために使われる。
目線もしかりで、異なる視界を認識している訳である。
その事は空海師の行動にも出ているようだ。
空海師が自分の大日経研究の正しさを確かめることのみの為に渡唐したのかもしれないのに、
密教に遭遇し移行したのは偶然なのか、否霊界からの指図と前項でいう本心(仏心)が共鳴して、
没頭して言ったとみることができる。
我々は往々に自分の考えで行動しているように思っているようだが、本心が霊界の情報を無意識
で感じ取り、記憶の底にある前世の生き様のレガシー(因縁)が今の自分の行動に大きく作用して
いる事を認識する必要があるように思う。
その結果、仏心即ち悟りへとの道が繋がってゆくのではないか。
となると、空海師は般若心経から何の教義も引き出していないようにみえるからだ。
故に、般若心経の訳を云々する事の意味合いは無いように思う。
PCが普及した現在、物事を細かく分析しドミノ倒しの如く石橋を叩いて渡るという考え方以外に、
空海師的ブラックボックス(例えばICなど)思考が表面に出てきたのは好ましい事に思う。
ブラックボックスの中は考えずに、入力と、その出力のみを考えブラックボックスの中での処理を
考えるのをスルーする。
私は空海師的考えの持ち主なので、宗教学者の如く経文の一言一句、マントラの解釈等しようと
はしない。
それは、人生と言う時間軸が決められているからなのだ。
では、どのブラックボックスを採用するのか、それを判断するのが直感なのだが、その直感を支配
しているのが前世の感性言い変えれば因縁ということなのだが。